I`m traveler of the life

人生を表現し、人々に感動を

人生を表現し、人々に感動を届けること [ 新潟県長岡市 / 福島県南会津郡 ]

 

f:id:itotl:20160805171515j:plain

 

8月1日から東京を離れ、新潟や福島を転々としている。

 

今は郡山駅前のPABLO CAFEで、このブログを書いている。最近は出てこなかった発信欲が、発作のように現れた。だから、書く。

 

 

今回の小旅行のダイジェスト

 

まず、この時期には、どんなことがあっても欠かせない「長岡花火」という一大イベントがある。

 

nagaokamatsuri.com

 

 

僕の昔の記事でも、何度も書き上げているが、この長岡花火は本当にすごい。

今まで、花火で泣いたことなんて無かったのだが、1回目の衝撃以降、2年目、そして今回の3年目と見事に涙がこぼれ落ちた。

 

 

itotl.hatenablog.com

 

itotl.hatenablog.com

 

 

なので、今年も行ってきたのである。

 

夏休みの始まり、8月1日の夜に、1年ぶりのヒッチハイクで長岡へ。当日夜に帰国したセブ島バジャウ族と暮らす 松田大夢 と共に、楽しい移動。僕はもう学生でもなく、今の自分の立場で、ヒッチハイクなんて甘えたことをやって良いのか?と考えもしたが、結果的に、素敵な出会いに、素敵なコミュニケーションが生まれた。年齢や肩書に左右されずに、面白い!と思うことは、これからも追求していきたい。

 

現地では、今年も多くの仲間と共に過ごした。20名弱の、自然が大好きな同世代の仲間たち。そして、今回のツアーを主催してくださった表参道で美容師を営む佐々木さん。

 

地球少年こと篠原祐太とは、奇跡的な出会いの2年前も含め、3度目の長岡花火である。それほどに、彼らとは価値観がミラクルマッチしている。

 

 

 

f:id:itotl:20160805164851j:plain

 

 

f:id:itotl:20160805164839j:plain

 

f:id:itotl:20160805164842j:plain

 

 

 

地元の野菜を無限に食べ、海水浴場でマンタや魚獲り、築130年の古民家で夏を感じる。廃校レストランの体育館でスポーツ、教室で小学生になりきる。満点の星空を眺め、人生について語ったり、メンバー内での色恋があるとかないとか。要は素敵な夏休みのはじまりとなった。青春とは、こういうことを言うのではないかと、夏は自分を悟らせてくれた。

 

 

 

www.youtube.com

 

 

 

f:id:itotl:20160805164306j:plain

 

[ 新造真人くん iphone撮影 ]

 

 

自然と涙が溢れるフェニックス大花火。平和というワードが頭をよぎり、命の儚さ、人生の素晴らしさを伝えてくれる。花火師の想いの込もった1発1発が、集まった約50万人の人間へ光を届ける。そこには希望の光も存在していた。

 

この感動や、生きていること。それを分かち合える仲間といること。それを幸せと呼ぶのだろう。みんな、有難う。これは、感謝してもし尽くせないのだろう。

 

こんな風に毎年、この花火が見れれば。どれだけ幸せなことなのだろう。もっともっと多くの人に見て欲しい。と、年を重ねるほどに想いが募る長岡の夏。

 

そして、楽しいひと時はすぐに過ぎ去る。花火の翌日、別れの時。

 

 

 

f:id:itotl:20160805171235j:plain

 

新造くんと、気持ち良い農道の越後線経由で東三条で途中下車してからは、自分と自然の時間を作りたくなって、単独行動することにした。

 

 

 

f:id:itotl:20160805171525j:plain

 

福島県南会津郡までを繋ぐ、ローカルライン只見線。まるでモンスターハンターの世界。

 

 

f:id:itotl:20160805171823j:plain

 

只見線の長い長いトンネル。10分くらいトンネルだったかな? そこを超えた先にあったのは夕日を浴びた田子倉湖。

 

 

f:id:itotl:20160805173257j:plain

 

秘境のような街、只見町。

ここからは、只見線が修復中のため、代行バスでの移動になる

 

運転手のおっちゃんと、2つ前の席に座るカメラ好きのおっちゃんと、僕。3人だけのバスが小一時間、只見を走る。

 

 

f:id:itotl:20160805173400j:plain

 

 

会津川口駅というところで一休みをし、野宿をするため、隣の無人駅まで歩く。

 

ここは、峠道。ひとっ子一人見えない真っ暗な道を、孤独に歩く。「Secret Base 〜君がくれたもの〜」をiphoneで流して、寂しく歌いながら、幽霊でも出てくるんじゃないかと一人でびくびくしながら、歩く。こいつは途中にいた カイロスCP21 。 コクワガタだけど、そもそもクワガタなんていつぶりに見つけただろう。

 

30分ばかり、歩いただろうか、無人駅に行くはずだったが、その手前に「道の駅かねやま」という標識が見える。寄ってみると休憩スペースがあるではないか。

 

電源もトイレもベンチもある。優秀な寝床だ。ママチャリ旅を思い出す。

 

 

一人で迎える22歳の誕生日。わざとこれをしたくせに、ちょっぴり寂しい。けど、これこそ自分の原点であり、探求したい領域なのである。華やかなことや、変に取り繕うことはあんまり好きじゃない。こうやって自分で出向いた、名前も知らない土地を、自分の足で歩く。そこで出逢う景色や空気、虫や雲や星の輝きこそが、感動に変わっていく。あぁ、思い返すだけでも素晴らしい。

 

 

自分の中での幸福とは、どんな状況でも、今、生きていて幸せだと思えることなのだ。そして、生きている間くらい、楽しい暇つぶしをしていたい。そして、どうせなら面白いことをしていきたい。人生なんて、つまらないと思っている人を、一人でも多く「意外に人生って面白いじゃん」って言わせたい。人生を表現し、人々に感動として届けること。これこそが信念であり、生きがいであり、死ぬことなく今、ここに魂を宿らせている意義なのである。

 

道の駅の駐車場、曇り空の切れ目に綺麗な星が煌めく。ふと携帯に目をやると、通知がある。誕生日おめでとう。とラインで何人からか連絡が来た。30分以内に何人来るかなと待ち続ける。あれ、思ったより来ないなとか、一喜一憂する時を過ごした。

 

 

Facebookでも、誕生日になると、色んな人からお祝いメッセージが来る。自分は、誰かのお祝いのメッセージが、一体どれだけ来ているか。その数字に目が入ってしまう。意外にも嫉妬深いのだ。自分は何人だろう。あぁ少ないなあ。でも、友達の人数で考えたら、いや、ラインも合わせたら。 そんな、どうでもいい ちっちゃいことを気にしないようにしたって、潜在的に気になってしまうくらいに、周りに自分を知っていて欲しい。でも、このメッセージをもらえるという事実は、自分のことを、どれだけ考えている人がいるか、という指標になる。

 

今年はどれだけの人が自分を知ってくれているかな。

もしくは、忘れてしまっているかな。

 

人は、忘れられた時に死んでしまう。というどこかの漫画の名セリフが、妙に頭に残っている。でも、そのとおりだ。人間は根源的に、誰かに分かってもらいたい。自分の意見を知ってほしいと思っているはずなのだ。そんなこと、小さいとか、大きいとか、どうでもよくて、素直に表現していけばいいじゃないか。僕は、色んな人に自分の存在を知ってほしいし、面白いと言って欲しいと思っている。

 

だから、努力をする。去年の自分より、分かってもらうために。忘れられないように、ちゃんと生き続けるんだ。心臓が動いているのを聞いているだけじゃなくて、自分の魂をしっかりと動かすんだ。

 

ちょっと話がそれるけど、最近、気づいたことがある。

 

優秀な人は、元から優秀だったのではなく、優秀になるための努力ができるか否かの能力において、優秀なのではないかと。

努力ができる人が優秀なのかもしれないと。ただ、センスがあるのではなく、その状態まで努力することが出来るセンスがあるのかもしれない。全部が全部そうではないと思うけど、それもあるんじゃないかと思う。

 

頭が悪いんじゃない。運動できないんじゃない。

頭が良くなる努力をしていない。運動ができるようになる努力をしていない。のかもしれない。

 

結果の出ないやつは、その、努力の限界値が小さいという潜在能力で、要するに、諦めるのが早い。10時間集中できるやつと、30分でちょっと休憩ご飯食べようっていうやつの違い。これは努力してない。に振り分けられるんだけど、その努力ができる自分なのか、できない自分なのか、これすらも才能の要素に入っていると思っている。

 

最終的には、やれる自分になりたいか、やれない自分になりたいか。それを見定めないといけない。自分は凡人か、天才か。努力ができるのか、できないのか。僕は色んな人に分析してもらったり、自分なりに考えてみたら、どうやら、潜在能力は高いけど努力できない部類のようだ。どうしても甘えてしまう。だから、普通の人より、諦める限界を低くしてはいけない。もうダメだ。と思ったダメだは、みんなはまだまだいける範囲内だから。人より容易くこなせても、努力できないから、最初は良くても、後半戦では負ける絵が見える。その危機感を持たないといけない。

 

 

やりたいことがあるなら、命をかけないと。

 

 

 

 

 

 

もっと大きなことをして、人を感動させたい。

この世の中の素晴らしさをもっと多くの人に伝えていきたい。

まだまだ、物足りないと思う。

 

行きたいところも、住みたいところもたくさんある。会いたい人もたくさんいる。

もう一回、つまらない自分から離れて、まだまだ無力な自分に1つずつ足していこう。

 

 

皆さん、これからもよろしくお願いします。人生かけて、たくさんの感動を生んでいきたいと思っています。自分なりに、少しずつ頑張っていきますので、もし良かったら、関わって下さい。見守ってて下さい。

 

こんなことを考えているのが "宮代健太" という人間なんだと、知ってもらえたら嬉しいです。

忘れられない自分になるために、今日から、今までより少しだけ頑張るようにして、努力を積み重ねていこう。

 

 

いつか、感動を魅せられる社会を実現できたら。

理想の環境を作るために頑張ってみようと思います。

 

 

福島県郡山市を後にし、宇都宮に向かう電車で書き上げた今この瞬間。僕の感情は予想を遥かに超えて満ち足りている。最高の誕生日を迎えることが出来た気がします。 

 

だから、人生って、面白いんだと思います。

今日も明日も、こうやって生きていこうと、

 

魂を生かしていこうと思います。

 

 

つづく