I`m traveler of the life

人生を表現し、人々に感動を

2)高校生のころのおはなし

 

高校2年

  

現実逃避してネットに浸る日々。

高校でも楽しく振る舞っているように見せて、消耗する日々。

 

楽しいことは多かった。思い出も沢山あるし今でも仲の良い友人ばかりだ。

環境にケチをつけたのではない。自分が嫌になった。

誰も信じることが出来ない自分に。

 

 

 

 

 

そんな自分を変えてくれた人がいる。

 

 

 

 

高校1年の冬に出会った、近くの高校に通う女の子だ。

 

友達の友達で知り合い、すぐ仲良くなった。

なんだか話していて新しい感覚があった。

何故だが、とても安心感があった。

 

この子になら、自分の本音を話しても良いんじゃないかなと

少しだけそう思える瞬間があった

 

 

ある日、彼女のほうから自分の悩みというか、

友達には言いづらいような話を聞いた。

 

自分なんかを頼ってくれる人間がいるのかと、泣きそうになった。

今までそんな人に、出会えなかったから。

 

ただただ、面白いから遊んでる、仲良くしてる。

僕はそんな存在にしか思われてないと、諦めていたから。

 

泣きそうになりながら、真剣に聞いた。

ちっぽけな自分の出来る限りで、真剣に聞いた。

 

 

僕はその時に、大きな大きな一歩を進めた。

自分の本音を、その子に打ち開けたのだ。

 

 

人間不信で、誰のことも信頼してないということ。

誰にも分かってもらえないと、日々嘆いていること。

仲良くしてくれる人も、表面上の付き合いでしかないということ。

人生なんて、消費する毎日の繰り返しで、退屈だということ。

 

 

気付けば涙を流していた。

ものすごく弱っちい、臆病な震えた声を発した感覚を今でも覚えている。

 

怖かった。

 

「自分という人間」を明かすことが。

存在を伝えることが、怖かったのだ。

自分を表現すること、生きていることを伝えることが。

たまらなく、怖かったのだ。

 

 

 

彼女は、黙って僕の話を聞いてくれた。

ただ、僕のことを見つめて、ずっと頷いてくれていた。

人生で初めて、僕を生きている人間として接してくれているんだという

 

「愛」を感じた。

 

 

f:id:itotl:20170619123100j:plain

 

 

 

 

 

 

 

僕はあの時、人生がリセットされた気分になった。

今、僕が生きることが出来ているのも、あの時あの場所で、

自分の心に寄り添ってくれる彼女がいたからである。

 

僕はあの瞬間に、生きる楽しみを知り、同時に、

この世に生かされていることを知った。

 

 

僕は今でも生かされている。

多くの人間に生かされている。

 

それは僕のことを、知ってくれている人がいるからだ。

理解しようと、してくれる人がいるからだ。

心から感謝しています。いつもみんなありがとう。

 

そして、この身体、感情、魂を今でも絶やさず、

燃やし続けることが出来ているのは、

 

 

あの時、あの場所で、

本当の僕を、知ってくれる彼女がいたからなのである。

ありがとう。

 

 

 

 

こんなにドラマチックなストーリーがあったことを、

知らない友人は多いと思う。

高校2年のとき、仲良くしていたあいつらは

知っているだろうが(笑)

 

自分を知ってもらうために、書いている過去の話、

このストーリーは、恥ずかしくて書くか迷ったが、

 

人生一度きりなので、書き残しておこうと思い、

文字を綴った。

 

 

このブログを読んでくれた方にも、宮代にこんなストーリーがあったことを、

ぜひ心のどこかで覚えておいてほしいなと思う。

青春と感動が、僕の人生のキーワードである所以はここにある。

 

それと同時に、人生は生きていれば、

こんなに感動的な喜びがあるということも、

参考程度にしてもらえれば、生きる心地が湧くかもしれない。

 

 

 

2011年

ひと夏の記憶。