I`m traveler of the life

人生を表現し、人々に感動を

自由になる訓練。

 

分かる人には超絶分かる話。

 

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まだ足りない。

精神的に自由になりきれない。

 

 

 

自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。哲学用語。

自由 - Wikipedia

 

 

 

 

朝だって、起きなきゃって思ってしまうし。

予定に遅刻しちゃ駄目だーって思ってしまうし。

ちゃんと仕事しなくちゃーとか、もっと頑張らなきゃとか。

 

 

 

これらは全て、自由に生きることを害する「悪」たちだ。

 

 

 

 

毎日好きなことだけして生きれれば、最高だけど、

なかなかそれって難しい。

 

訓練としたいのは、そこへの疑問だ。

 

 

 

 

本当に難しいのか? 本当に苦しいのか?

 

 

 

 

人間はよく、辛い、疲れた、苦しいといった言葉を口にする。

それらは反射なのか、無意識なのか、はたまた承認欲求なのかは分からないが、

 

まじめに考えて言っているようには思えなくて、大体それは、

ふざけた時に出てくる言葉である。

 

 

 

大して言葉の意味を考えもしない。

そして、辛い疲れた苦しいの延長線に、不幸せがあるかのように。

自分を自分で、洗脳している。

 

 

だいたい、何が辛いから、どうなんだってんだ。

 

 

歩きすぎて、足が痛くて疲れた対価で得たものがあるんだろう。

彼氏と別れて悲しい先に、自分の未来が待っているんだろう。

辛くて苦しいブラック企業に務めている自分は、安定を望んでいるのだろう。

 

 

誰も、何も断定をしていないし、

予測できる未来から不幸せを感じ取っているわけではない。

 

何より不幸せだと、思い込みをさせているのは、あなたなのだ。

 

 

 

ロジカルシンキングさえ身につけてしまえば、どうってことないのだが。

それを初歩的に説明すれば、

『冷静に考える』ということさえできればオッケーなのだ。

 

 

 

あなたは毎日の選択で、自分が得をするような、もしくは、

損をしないような意思決定を取っているはずだ。

 

間違っても自分が得をしない、損をしやすい意思決定を究極的に取ることは、正常な脳みそが働いていれば、まずありえない。

 

 

だけど、人間の誤作動は、意思決定をしたあとで、

その意志を継続することが出来ないことだ。

 

 

小さなイチを積み重ねていけば、大きな自分と巡り会えるのに、

一つ一つの積み重ねたものを「やっぱりやめておこう」と降ろしてしまう。

 

 

 

なぜなら、当時の意思決定を優先できない自分がいるからだ。

あの時の判断は間違っていた。いまの判断が正しいと。

 

 

だけど本当は、単に自分の判断が合っているのか、間違っているのか、

それが分からなくて、

 

判断しかねて、

社会に任せて、

社会のせいにして、

自分を社会に売り捌かれた被害者のフリをしているだけなのだ。

 

 

 

そうなっちゃうと、まぁーーたいへん。

マザーボードがない壊れたパソコン、ただの抜け殻とおんなじだから、

 

「納得」という概念が消え去ってしまう。

 

 

それなら良いね、そしたら僕にぴったりだ。

これこそが人間に与えられた「心」という特性なのに、

それじゃあ、ただの劣化版生命体だ。

 

 

絶対にやめたほうがいい。

独立なんて、厳しいことは言わないから。

他責だけはやめておこう。

 

アイデンティティがなくなっちゃうからさ。

 

 

 

だから極論、自分さえ良ければ良いという考え方は、持っておいたほうが良い。

持っている方が、あなたが幸せになれる確率があがる。

 

 

なぜなら、社会に依存しないあなたの意思決定が、

あなたの脳みそに、今後も信用される可能性が高いからだ。

 

 

 

自由主義とは「自己決定権に制限を加えることができるのは危害原理のみである」という立場である。加藤尚武[13][14]によれば、自由主義とは

  1. 成人で判断能力のある者は(valid consent, 有効な同意)
  2. 身体と生命の質を含む「自己のもの」について
  3. 他人に危害を加えない限り(harm-principle, 危害原理)
  4. たとえ当人にとって理性的にみて不合理な結果になろうとも(the right to do what is wrong, 愚行権)
  5. 自己決定の権利をもち、自己決定に必要な情報の告知を受ける権利がある(autonomy, 自治権)、とするもの。

 

 

 

理性は制限ではなく、合理はかたっ苦しいものではない。

いずれもそこに、幸せかどうかが内包すると思ったって、別にいいんじゃないか?

 

 

だから、変な誘惑や誰かの指示なんかに惑わされず、いや、

そういう美味しいアリバイに乗っかって、誰かのせい、社会のせいにせず、

 

 

 

わたしの幸せは、わたしが責任を取ります、と

 

 

 

そういう態度さえ、堂々と出来ていれば、なにも、

不幸せ(=幸せから遠い)人生なんて、浮かばないはずなのである。

 

 

 

あなたの人生は、あなたに選択権があって、

いまあなたが過ごしている時間も、あなたが有意義だと思う使い方をしてもらって結構で、

誰になんと言われようが、あーだーこーだあろうが、

 

 

いや僕は幸せなんで、って

誰のせいにもせずに自信を持って、誇りを持ってさえすれば、

基本的になにをしたっていいわけだ。

 

 

だけど、人に迷惑をかけたり、法律を破ったりすると、

自分が幸せに生きるための、壁が増えてくるので要注意。笑

 

社会って信頼がないと、なんもできないからね。

そこらへんは、賢くやれると良いよね。

 

 

 

 

てな感じで、自由になるコツは

誰かに束縛された人生でもなく、誰かに気を遣われた人生でもなく、

 

あなた自身が、あなたのために使うことが出来て、

それはあなた以外の誰かに責任を追わせることは出来ないってこと

 

 

これさえ覚えておけば、なんでも出来るんじゃないかな。

 

 

今から海外行ったって、家でぐうたらゴロゴロしてたっていいじゃないか。

お金をたくさん稼ぎたいなら、稼げばいいじゃないか。

ずーーーーっとクーラーの効いた部屋でアイス食べて、二度寝して起きてって過ごしたいなら、そればいいじゃないか。

 

それが幸せになる道ならば。

 

 

 

 

 

 

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いいんですよ いいんですよ あなたが選んだ人ならば いいんですよ いいんですよ あんたが選んだ道ならば

 

あなたといる意味を探したら 明日を生きる答えになったよ 明日を生きる意味を探したら あなたといる答えになったよ

 

 

 

 

 

って感じで、ロッキン楽しみです!

 

 

 

 

p.s.

 

この記事のインスピレーション

 

 

 

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このひと、ほんとに幸せそうに生きるよなあ。