I`m traveler of the life

人生を表現し、人々に感動を

こんなんじゃダメだ は クソだ

 

とある日のこと。

 

 

 

なんだか気持ちが上がらない、

 

家にこもって、予定もなくって、さあ今日も頑張ろうって

思っているのにやる気が起きない。

 

 

美味しいご飯を食べても、コーヒーを飲んで集中しようって喝入れても、

栄養とか、なんだか、ソーユー話じゃない。

 

 

 

特に何かがあったわけでも、というか考えてみたら、

 

何かがあるほど忙しくない。そんな虚しい日常。

 

 

 

 

 

この繰り返しで、何十年も生きてきたって言っても、

ぜんぜんウソじゃないし、むしろ、

 

そんなんばっかりで、

週の半分は、そんな人生で、もーつまらなくて、本当につまらなくて、

 

 

与えられたことをこなせば「無」になれるからって、無生産でも集中すれば悩まなくて済むからって、

 

もしくは、「趣味」と定義した何かに「没頭」したことにして、

他者に発信をして承認を求める。

自分に「やってる感の意味」を強いる。

 

 

だって、なんだか表にしにくかったり、

生きる希望ないとか、人生つまんないとか、ぼやいてたって、

 

だーれもおもしろがってくれないし

自分もつまんないし、

 

それこそ、その先の未来に何があんだとか、

このまま生きて、どんなことがあるんだとか、

 

 

考えれば考えるほどにつらくなって、というより、

やる気がなくなって、生きても生きなくても良くなってしまう。

 

 

 

 

 

そんな虚しい日常を、迎えることがよくあるけども、

そんなとき、

 


好きなアーティストの曲を聞いて、大好きな場所に行って、

大好きな人と一緒にいれば、

 

 

どうしてあんなに退屈だったのかと思えるくらいに『生きる希望』が沸き起こる。

 

 

 

またこれから頑張ろうって

また、ちゃんと生きていこうって、心の中に小さく刻む。

 

 

 

 

 

 

この現象を、なんと呼ぼうか。

 

 

 

 

 

 

残念ながら

人はこれを「モチベーション」とか呼んでいるのだろうか。

たぶんそうだろう。

僕もそうやって使うことがあるし。

 

それはすごく良いことかもしれない。

そうやって、人は向上していくのかもしれない。

 

でも、この瞬間を、

 

 

 

「喜び」と解釈して、

拾える人はいるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はこう思う。

 

 

 

この "瞬間" を、努力しようとか、

まじめに生きようとするのは、クソだ

 

 

こんなんじゃダメだ は クソだ。

 

 

 

 

 

その現象に、生きる希望があるんだって。

幸せがあるんだって。

 

 

 

その瞬間を、逃すなって

 

 

 

もはや、そのために生きてるんだって。

そうやって、開き直ったって、良いと思ってる。つか、

 

もっと、決めつけて、良いんじゃないかな。

 

 

 

 

 

あなたは、努力のために生きてますか?

 

喜びのために生きてますか?

 

 

 

 

 

 

じつは、あなただけでも、僕だけでもない

誰にでもある「つまらない日常」のハナシ。

 

 

 

 

 

 

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