小学生のころのおはなし
昔話をつらつらと書いておこうと思います。
将来の自分が、今の記憶を忘れないように。
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僕は、神奈川県茅ヶ崎市の小学校で育ちました。
6年間、どんな人生を歩んでいたかというと、
「恋愛」「ゲーセン」「万引き」
この3つのワードで大体全てが完結すると思います。
うんこみたいな人間でした。本当に
表面的には楽しそうだが、本質的には、
人生が楽しくなかった。あのころです。。
小学校1年
いじめっ子にいじめられる。
周りの友達とは仲良くやっていたし、そいつはすぐ転校したため、不登校がどうとか、そういうのは無かった。
だが最も印象的なのは、僕のアルティメットレアの「ブラック・マジシャン」を
そいつにパクられたことだ。確か愛知に転校したんだっけか、あいつ。
次会ったら、絶対取り返してやる。
小学校3年
好きな子ができる。ここから僕は大恋愛の人生が始まるのだ。そうこの時から、
僕は恋愛にしか生きることが出来ないくらいの『恋愛体質な人間』に生まれ変わってしまったのだ、この時から今まで(笑)
本人には一度も告白していないが、実に7年間。高校1年まで、
恋していた。そろそろ話そうかな〜 こんな青春の気持ちを味わえて
本当に幸せでした。学校が大好きになった。
小学校4年
その子のことしか考えられない1年間が過ぎ、余裕ができて少し賢くなった僕は
悪さを覚えるのだ。そう湘南のヤンキーら、楽しい誘惑に誘われて、多くの犯罪を試みることになる。
お菓子やカードが無料で手に入る感覚を知ってしまった。
それはもう、社会的に膨大な金額の迷惑をかけてしまうことになる。本当にごめんなさい。
好奇心の強い僕は、お金がほしいわけではなく、単なるゲームとして犯罪を犯しまくる。達成した瞬間の喜びがたまらなく病みつきになってしまったのだ。
そして、ゲームセンターに通い始まる。これこそ人生のもう一つの転機。
メダルゲームという快感を覚えてしまったのだ。3年生から楽しんではいたが本格的に初めたのはこの頃。
週5でゲーセンに通い、北斗の拳やエヴァンゲリオンなど、数多のパチンコやスロットにハマり。UFOキャッチャーも極めようと試み、常連のおじちゃんや、元ヤンのお兄ちゃん、幼稚園〜大学生までの年代や生まれ育ちの垣根を超えた人脈を手に入れる生活の始まりである。コミュ力はここで身につけた。
また、ずる賢い僕は「メダル転売ビジネス」を始め、稼いだメダルを売りさばいていた。なにせメダルを1万枚以上持っていたので、何でも出来たのだ。
はなまるうどん「かけ小100円」と食品売り場の試食コーナーでお昼ごはんとおやつを食べる。駄菓子屋でお菓子をくすねる。
お金なんてなくても生きていけると、本気で思っていた。
そして、2ちゃんねらーになる。小学3年で2ちゃんねらーだ。この時期にしては早いと思う。
毎日2ちゃんねるを漁る生活。世の中のアングラを知って、優越感に浸っていた。時にはスレも立てていた。ゲームも好きだったので、ワザップで人気のスレッドとして取り上げられた時は、とても嬉しかった。笑
また、ネット上のチャットで不特定多数の人とコミュニケーションを取ることも覚えた。あの頃は「ネットの出会い=タブー」という風潮があったためか、積極的に関わりにいった。出会った人はさすがにいないが、個人間でやり取りしたり、mixiだけで繋がったりはした気がする。
出会いはゲーセンで充分だった。
小学校5年
犯罪がバレる。自分ではなく先輩が。
僕らのチームは約束をしていた。「誰かがバレても絶対にチクらないこと。」あの先輩はそれをいとも簡単に破ったのだ。人間は何をするかわからない。恐るべし。
ここから始まる毎週3回程度の先生面談。教育指導の先生や担任、校長先生などと事情確認や、話し合いが続く。最終的には親に全てを打ち明け、お店にやってしまった分の金額を全て払いにいった。
この時は、猛省した。親を悲しませてはいけないなーと心の底から思った。
親というより、人を悲しませてしまうということは、どれだけ自分の胸が痛くなるかを思い知ったのだ。この頃から、人を楽しませたい、喜ばせたいと思い始めた気がする。大切なことは全て万引きが教えてくれたと言っても過言ではない。
親に打ち明けたその日から、自分の中で喪失感がでかすぎて、
一度も万引きをすることはなかった。
人を悲しませてしまうことは、絶対にしないようにしようと心に誓った。
ちなみに、人間は一度汚れてしまうと、足を洗うのは難しいと言われるが、まさにその通り。
実際、お店に入って「盗んでしまおう」と思ったことはこの後、50回くらいあったと思う。その感覚が完全になくなったのは中学2年くらいの時だろうか。犯罪は絶対にやってはいけない。制御が効かなくなってしまうからだ。
遊べることが減り、暇をつぶすためにインターネットとゲーセンに逃げ込む日々。ネットから刺激的な知識を得たり、可能性を知る。ゲーセンではどんどん新しい人とつながり、世代の垣根を超えたコミュニケーションを体得していく。将来の夢は、ゲームセンターの店員だった気がする。
そして、太鼓の達人を始めたのが、この時期である。
ゲームセンターは、僕にいろいろな武器を持たせてくれた。
多分、この時に自分のホームページを開設した。自分が好きな動画や、太鼓の達人のリザルトをあげていくプライベートサイトをレンタルサーバーを借り、作った。
ネットで仲良くなった人と、相互リンクするのが楽しかった。
ブログなんてものが、まだ流行っていないときかな。流行り始めてすぐに、
gooブログに切り替えたのを覚えている。
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