I`m traveler of the life

人生を表現し、人々に感動を

人生は22歳で終わらない。

 

最近、いろんなプロジェクトを進行させている。多すぎて訳わからないというカオスな、自分でも分析できない、どーなるのかわからないくらいの領域までいきたいからである。 

もちろん全ては理念ビジョン、PLBSに繋がる前提の話。

 

経営者と起業家の違いってのが、マインドだけではなく、行動ベースで腹落ちしてきて、毎日コミュニケーションを取っていて、楽しい。

 

 

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( 2ヶ月前に作った海外プロジェクトのマインドマップ。見せられないけど、こんな構想。もう既に変わっている。。)

 

 

 

24時間、交渉をし続けている気分だ。そして、何より気持ちいいのが、

ビジョンを語りまくること。

 

大事なことその1。リーダーはビジョンを語りまくらないといけない。

なぜなら、人を巻き込みまくる必要があるから。もー毎日、誰かに会えば会う度に、このプロジェクトは1年後にこーしたいだの、このコミュニティは5年後にこーしたいだの、

新しくこーいうプロジェクトを始めたい、なぜなら、、、、、、、

 

 

はじめましての人への自己紹介も変え始めた。

安っぽいユニークやノリ、カリスマ性のある謎感の演出なんかではなく、信用とビジョン。

 

将来こーいうことを、こーやってやっていきたい。

世界をこうやって変革していきたい。そのためにこいつらと繋がって、あーだーこーだ。すべての活動はこーいう理念に基づいていて、その背景は、、、、、

 

こういう人間ですというのを、相手が納得してくれて、応援してくれるところまでトークを続ける。

 

たとえ、長いと言われても、それ以上にどんな人間かが伝わらないほうがリスク。

何のために、こいつと時間を取っているのかわからないと思われたら最悪。目的を持ってもらう。

もっといえば、この人に関わりたい。時間を使いたい。投資したい。そう思われる自己紹介ができれば最高である。出来ているかな? できていると信じたい。。

 

 

 

 

大事なことその2。長期で物事を考える。

 

大体、ビジネスやりたい、でっかいことをしたいという若者は今すぐを求めるので、来年独立したいだの、海外で自由に暮らしたいだの、

バイトしないで生きる収入が欲しいだのを求めるけど、それは甘い。

 

甘いというか、そこで人生が止まってしまう。22歳になると、肩書がなくなる分、肩書を求めたり、友達から、親から、近所の人から、彼女から、気になる女の子から、

どう思われるか?ダサく見られたくない、ナメられたくない。

俺はもっとすげえんだぜーーーー!

 

そういう心理で、人脈を作ったり、イケてるイベントに顔を出したり、見た目を気にして服を買ったり(笑) こうやって書くと思わず笑っちゃうけど、グサグサ刺さる方もいるのではないか。SNSでの発信内容なんてまさにそうで、パッと見れば、その類のタイプかすぐ分かる。

 

大体、そういうやつは世の中を評価している気になったり、表に立ってるファーストペンギンをディスったり、俯瞰してみてる風にしたりするのだが、裏でネガキャンしたり、人の将来考えてる感じに見せて他者の弱みを探そうとする、そうやって、自分のポジション必死に守ろうとしている魂胆が見え見えですごくチープ。

で、お前はどうするんやねんって。イケてるのか、イケてないのか?

 

 

逆に、本質的な捉え方、思想をしている。俺はお前らとは違う。みたいな、そういう態度をとる若者も増えてきてるなーと思うのですが、プレゼンとか友達に熱烈にそういう主張をしてても、

意思決定でバレる。どこでイエス、ノーを言うのかでバレる。

 

 

プロセスがどんなに素晴らしくても、人格的な判断をしていても、結果で選べない。選択できない、集中できてない人間が評価されるのは、学生レベル、若者レベルまでで、上場企業の社長さん、世界トップレベルの人材、超有名芸能人、なんかが心の底から信頼するのは、結果、GOできる人間である。

 

かつ継続できる人間。勝ちきれる人間なら、対等に仕事をしてくれるだろう。

 

ビジネスに変な情熱、思想は持ち込まないほうが良い。あるのが当たり前だから。当たり前のことをドヤ顔で言われたり、本気でプレゼンされても、当たり前やろと、淘汰されるだけだ。

 

 

 

なので思うことは、僕もまだ22歳だが、

同世代は社会人1年目で、必死にもがいているだろうけど、決して、目先の不満を解消したい、この人に嫌われたくない、なんとなるハブられるんじゃないか、リスクなんじゃないか、、、、、、なんかで判断してはいけない。停滞していてはいけない。

 

 

資産を積み重ねることが大切。そして、今この時期にどんなカードを持っておくかを考えることが大切。

人生は22歳で終わらないから。もっと言えば20代では終わらない。正直、30代からが本番である。お偉いさんに色々話を聞いても、大体30歳までの準備をどこまでしてるかで、勝負が決まっている気がする。

 

勝負はやる前から決まっているのだ。

 

 

 

時代と、マーケットをもっと深く深く分析する。プログラミングだの英語だのを身につけることは先見性でも何でもないし、もはや先行者利益はない。10年前にバブルは終わっている。仮想通貨ももう遅いだろう。未だ世の中で評価されていないスキル、チャンスを探すこと。

 

そして、誰が30歳で化けるのか知っておくこと。今この人とつながることがどうこうではなく、1年後、3年後、5年後、10年後、20年後、、、、、、

 

果たして誰が世界の最前線で戦っているか。その逆算で人脈を作っているか。分散していないか。人脈=本当に信頼を勝ち取れているか。連絡して会える関係か、仕事ができる関係か、投資してもらえる関係か。

 

 

僕はそういう意思決定で、毎日生きています。

なぜなら、本気で世界を楽しみたいし、楽しめる世界を作りたいから。

この文章を綴るもの、未来の自分への投資である。

 

 

こっからどんな世の中になるのか、非常に楽しみである。

そしてその波を、乗りこなせるのか、乗りこなせないのか、本気で挑戦するのも非常に楽しみである。

 

同世代のみんな、人生賢く生きてこう。

俺らの時代を作るために。大人にナメられるな!やったろうぜ。

 

 

今日は敢えて抽象的なところで。

 

 

 

 

What is LIFE ?

  

 

何をして生きるのか、ではなくどう生きるのかを学びたい

正論や合理的な結果を求めていない

自分が納得できる答えが欲しい

既に考えはある。あとはぶつけてみたい。

     

死はかならず訪れる。自分の魂が死ぬ時が訪れる。

それまで、何を燃やし続ける必要があるのか。

魂に優劣なんてあるのか。ない。

 

ただ、いま生命は動いている。

この動いている感覚で動けばいい。

そして、生命が動いているということ、伝えていきたい。

生かしていきたい。燃やしてあげたい。

それが人生でできる最大のエンターテイメント。

史上最高な遊び。暇つぶしだ。ゲームだ。

過去の経験、俺はゲームをすることにワクワクする。

全部LV99にして極めてやろう。

究極の自己満足。一生終わらないゲーム。

人に価値を与え続けるゲームをする。

感動させて、ワクワクさせて、幸せにさせてやる。

どうせ人は死ぬんだから。死ぬ前に一緒に笑いたいよね。

 

 

[2015年8月28日 4:21 北海道旭川市 駅前カラオケにて]

 

 

 

責任感を持って生きようと思った

多くの人に関わって来た責任がある
遺書を書くことで死を近くに見る。
死と真面目に向き合う
自分の命を常に考えて向き合う
命を尊敬して生きる
最大の悲しみ 死というものと相対的に考える
現実や幸せとは命があるからこそ出来るもの
感謝して生きるとは死なないでいる自分に対してもある
人を幸せにしたいなら自分が死んではいけないし、悲しんでいてはいけない

 

 

 

誰しも死は訪れる
出会った人はみんな死ぬ
別れる時が来て、悲しむために出会ってる 
 
そんな不条理の中で、俺は何のために生きているのだろう
でも抑止力と同じで
生きている間に人間を喜ばすゲームはできるよね
暇つぶし、遊ぶはできるよね
楽しみながら人を幸せにすることはできるよね
大義名分はないとはこのことだ。
 
やらなきゃいけないとかはない。
だってその先にあるのは生と死
その可能性を追求しているのは脳科学
だけど脳科学が発達した先には
その先に人間の本当の幸福はあるの?
ないんじゃないかな。また別の問題にぶち当たる。
 
そしたら、そんな長期の使命感に追われるのではなく
もっと自分が楽しめることをしよう
気楽に生きよう
天国でまた会えるだろう
ハロー初めまして、よろしく、そして、さよなら(死ぬ)
 
ただ、それだけの人生。
旅じゃない、人生がそう。
つまり旅=人生
そしたら、死ぬってわかってるよね。
やるべきことって別にないよね
楽しめばいいよね。
人生を。

 

 

 

 

[2015年8月28日 5:04 北海道旭川市 駅前カラオケにて]

 

 

 

 

 

 

 

 

また宗谷岬に行ってきた。ママチャリがあった。すごく気持ちよかった。

ワイワイするというのはああいうことだ。自然と話しに笑いが生まれる、自然とつながる。

何を感じるのだろうと考えながら歩いた稚内。人が少ない。

人の気配が薄い。命や、生と死に真っ向から向き合いすぎて、自分が何をすればいいのか分からなくなりそうになっている。悟りすぎている。負のループにはまりそうになった。

 

そこに辿り着く必要はあるのか。本質的すぎる問いを厳しく与える必要はあるのか?あまりモチベーションは湧かなかった。人生にとって大切なことを教えることは必要だけれど、あまりにクリエイティブで正しく強いものを見ると、すこし圧倒されてしまう。

しかし、とても勉強になる。これは良いことなのかもしれない。非常に室の高いものだ。今の自分には分からないのだろう。人生を表現して「感動」を人々に与えることに意義がある。生きる意味を問い続けるということは人々に学びを与えるということになる。いや、今はこの話はやめておこう。

 

札幌にとんだ時、飛行機ってすごいと思った。

飛びたいという人の夢を現実的にした。

窓から見た翼が

おもちゃのように、戦闘ロボの変身のように思えた。そして物理的に人をふかんして見える。

与えたいターゲットは「人」なのか「地球」なのか「生き物」なのか、大切な問い。人が作った物たち、まるでゲームみたいに都市を作り、人を増やしている。

 

そんな新しいゲーム。今思ったのは、所詮俺は「人」なのだから「人」以外の気持ちなんて分からない。その「生き物」にとっては、今が一番心地良いかもしれない。ボランティアと同じだ。今、自分の心の中にある罪悪感。そして、自分が伝えたいこと、言いたいこと、これを生き物の気持ちになぞらえて、責任転嫁してるだけかもしれない。地球の気持ちなんか分からない。結局、自分たちが心地良く暮らすために、地球が悲しんでるとか言ってるだけかもしれない。俺らには分からない。マーケティングしてないから。それに、ニーズや価値、欲求や感情というものがあるかどうかすら分からない。ピダハンのように"今"しかない民族もいるのだから。

 

要は、まじめに考えるなら「人」に価値を与えることが一番ワクワクするかな。自分が幸せになれるかな。人以外の生き物になりたいというのは、その地球や生き物に逃げてるだけなのかもしれない。依存してるだけなのかもしれない。だってなりたいならなれるよ。そういうS→Gを組めば良いよ。これは無責任だけど出来るよね。だから、そこじゃなくて、その欲求は、そのモノから 直接受け取ったものではなく、間接的なものかもしれなくて、それ以上に、そもそも本気じゃないかもしれない。偽善はやめよう。人といよう。俺はそれが楽しい遊び場だと思う。

 

デメリット、リスクをとらずに生きていたら、何も出来ない。

この地球に対しては全て悪かもしれない。

だから、自分のやりたいことをやろう。

 

 

[2015年8月29日 19:28 北海道稚内市 宗谷本線車内]

 

 

 

 

*************************

 

 

大切な友人の訃報を聞いて、書き連ねたというか、書きなぐった当時のメモ帳。

ふと見返して思うことがあったので、

文字起こししてみました。

 

「わたしも北海道に旅しに行こうと思うんですけど、行ったほうが良いところがあれば教えてください!」

新宿のカフェで北海道の素晴らしさを伝えた。

 

「わたしも宗谷岬に行きたいです!」

そうやって言われたのは3週間前だっただろうか。

 

 

ふざけんじゃねーよ!という気持ちでいっぱいだった。

そんな感情だったのを覚えている。

 

命は大切にしねーと。

であるならば。

あなたの人生とは?

 

なんやろね。

 

 

2年前の俺へ。まだ分かってないみたいだわ。

 

 

 

 

 

 

 

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What is LIFE ?

 

 

人生とは?

生命と何か?

生きるということ。 

 

 

 

2)高校生のころのおはなし

 

高校2年

  

現実逃避してネットに浸る日々。

高校でも楽しく振る舞っているように見せて、消耗する日々。

 

楽しいことは多かった。思い出も沢山あるし今でも仲の良い友人ばかりだ。

環境にケチをつけたのではない。自分が嫌になった。

誰も信じることが出来ない自分に。

 

 

 

 

 

そんな自分を変えてくれた人がいる。

 

 

 

 

高校1年の冬に出会った、近くの高校に通う女の子だ。

 

友達の友達で知り合い、すぐ仲良くなった。

なんだか話していて新しい感覚があった。

何故だが、とても安心感があった。

 

この子になら、自分の本音を話しても良いんじゃないかなと

少しだけそう思える瞬間があった

 

 

ある日、彼女のほうから自分の悩みというか、

友達には言いづらいような話を聞いた。

 

自分なんかを頼ってくれる人間がいるのかと、泣きそうになった。

今までそんな人に、出会えなかったから。

 

ただただ、面白いから遊んでる、仲良くしてる。

僕はそんな存在にしか思われてないと、諦めていたから。

 

泣きそうになりながら、真剣に聞いた。

ちっぽけな自分の出来る限りで、真剣に聞いた。

 

 

僕はその時に、大きな大きな一歩を進めた。

自分の本音を、その子に打ち開けたのだ。

 

 

人間不信で、誰のことも信頼してないということ。

誰にも分かってもらえないと、日々嘆いていること。

仲良くしてくれる人も、表面上の付き合いでしかないということ。

人生なんて、消費する毎日の繰り返しで、退屈だということ。

 

 

気付けば涙を流していた。

ものすごく弱っちい、臆病な震えた声を発した感覚を今でも覚えている。

 

怖かった。

 

「自分という人間」を明かすことが。

存在を伝えることが、怖かったのだ。

自分を表現すること、生きていることを伝えることが。

たまらなく、怖かったのだ。

 

 

 

彼女は、黙って僕の話を聞いてくれた。

ただ、僕のことを見つめて、ずっと頷いてくれていた。

人生で初めて、僕を生きている人間として接してくれているんだという

 

「愛」を感じた。

 

 

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僕はあの時、人生がリセットされた気分になった。

今、僕が生きることが出来ているのも、あの時あの場所で、

自分の心に寄り添ってくれる彼女がいたからである。

 

僕はあの瞬間に、生きる楽しみを知り、同時に、

この世に生かされていることを知った。

 

 

僕は今でも生かされている。

多くの人間に生かされている。

 

それは僕のことを、知ってくれている人がいるからだ。

理解しようと、してくれる人がいるからだ。

心から感謝しています。いつもみんなありがとう。

 

そして、この身体、感情、魂を今でも絶やさず、

燃やし続けることが出来ているのは、

 

 

あの時、あの場所で、

本当の僕を、知ってくれる彼女がいたからなのである。

ありがとう。

 

 

 

 

こんなにドラマチックなストーリーがあったことを、

知らない友人は多いと思う。

高校2年のとき、仲良くしていたあいつらは

知っているだろうが(笑)

 

自分を知ってもらうために、書いている過去の話、

このストーリーは、恥ずかしくて書くか迷ったが、

 

人生一度きりなので、書き残しておこうと思い、

文字を綴った。

 

 

このブログを読んでくれた方にも、宮代にこんなストーリーがあったことを、

ぜひ心のどこかで覚えておいてほしいなと思う。

青春と感動が、僕の人生のキーワードである所以はここにある。

 

それと同時に、人生は生きていれば、

こんなに感動的な喜びがあるということも、

参考程度にしてもらえれば、生きる心地が湧くかもしれない。

 

 

 

2011年

ひと夏の記憶。

 

 

 

湘南基地プロジェクトでやりたいこと

 

「湘南基地プロジェクト」


理念:誰もが青春を味わえる環境を作る

ビジョン:エネルギッシュな湘南の高校生を中心とした共同経営型カフェの営業
高校生ビジネス教育/地域活性化 アウトドア企画、学校共催の何か

 

 

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モスクワで飛行機に乗っていた時に、本当に暇すぎて書いてた計画書なんですが

この時のアイデアがやれたらおもろいなーとやっぱり思ってます。

 

 

せっかくブログ書いてるので、今後生きていく上でやりたいことの

イデアベースのビジョンだったり、進捗なんかも暇な時に書いていきます。

  

 

 

僕は、育ちが湘南です。

 

 

 

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こんな感じの楽しい高校生活を送っていました。

湘南は本当に最高です。青春を無限に味わいました。

 

 

楽しいことしかしてこなかったし、

高校時代が楽しくなかった人という声を、大学でたくさん聞いて

なんて幸せな環境で育ったんだと感激しました。

これに関して、今度昔話の続きで書きます。

 

 

大学が水道橋だったので東京に通うようになり、2年時から湘南を出て吉祥寺に住み、その後新宿に引っ越しと、

20年間、湘南で育った後に、都会の大きな波を乗りこなそうと多くのものを吸収してきました。

 

 

良い意味でも悪い意味でも

東京人は賢く、湘南人はバカです。

 

少なくとも僕らの世代は。そうじゃないと反論があっても、そう思われているのが

現実だと、比較して分かりました。

 

 

僕は生粋の湘南ボーイですので、どんなに世界の色に染まっていっても湘南の、

『自由でなんでもあり』『楽しければそれだけで良い』みたいな価値観を、

最もアリだと思っています。

 

 

だけど、お金を稼ぐことや、社会的な教養が弱くて、

中々、それが実現できないというのが、湘南人のモヤモヤなのではないかとすごく思ってます。

 

 

実際、資本主義の時代ですので、数字に疎かったり、税金の仕組み、

 基礎的なビジネス知識や、甘い誘惑に騙されない、社畜にされないくらいの教養は、

身につけていかないと、ただただ住宅ローンを返し続ける人間が大量生産され終わってしまうと思っています。

 

 

コミュニケーション能力、楽観主義、ポジティブ、行動力、

情熱、好奇心、人間味、人柄、筋を通すところなどなど、、、、、

 

 

湘南人はポテンシャルがあるのに、

ビジネスセンスが疎いと言うだけで、社会的立場が弱いのは、

日本というチームにおいて強みが生かされておらず、面白くないワケです。

(極論ですけどね。でも日本が破産する前に足掻いておきたいですよね。)

 

僕の地元なんで。「卍 地元最高 卍」なんで。

チャリで来てるんで。横浜のあの子たちも今ごろサラリーマンなわけです。

 

湘南を、イケてる地域にしたい。

そのために、湘南乃風みたいなヤンチャ文化だけではなく、

もう少し賢さが欲しい。

武器を増やしたらどうなるのか? 見てみたいのです。

 

 

 

ということで、

高校生教育×地域活性×飲食店 の掛け合わせて、おもろいことできたらなと。

 

湘南の女子高生が経営するカフェ、なんかだと人はたくさん来ると思います笑

 

 

 

湘南のギャルがカフェ経営して1000万稼ぎましたみたいな

スーパーギャルを世の中に輩出したい。

 

打倒東大生。打倒自称起業家。

そういうのでも、良いと思ってます。笑

 

 

来年は1年の三分の一は大阪にいようと思っているのですが

1年の五分の一は、湘南で仕事するのもありかなと思っています。

 

鎌倉に拠点欲しいし。湘南で仕事してるって、

地元民としては言いたいし。

それを実現するために、今年は準備なので、東京で大人しくしてます。

 

 

25歳までには、地元に何か還元したいなと思います。

もっとクリエイティブに。もっとイケてる湘南と言われたいです。

そして、湘南でやんちゃしてる高校生の進路や、生きる道も作ってあげたいです。

 

彼らの想像力は本当に素晴らしいので。

 

 

 

進捗あったら更新しようと思います。

 

 

 

高校生のころのおはなし

 

***************

 

高校では帰宅部として人生を謳歌していた。

なんとも青春な人生を歩んでいた。

 

そして感動的なストーリーがある高校時代。

ここで俺は生まれ変わりました。

 

 

 

 

 

 

高校1年

 

小中より近い高校に進学。

チャリで2分。8時30分の学校のチャイムが聞こえてから登校する日々。

先生が来るの33分で、ギリギリ遅刻になったり、ならなかったり。

 

結果として校内遅刻ランキングは2位。

生活指導を20回以上受けました。5分早く出ようねと言われ反省しないの繰り返しという無生産な指導でした。

 

高校は、出会いが多かった。面白い人を探す毎日だった。

学校に向けてロケット花火打ったり、太鼓の達人がめちゃ上手い友達ができて、セッションしにゲーセン行ったり。地元の仲間と遊んだり。カラオケにハマり始めたのもこの頃。

 

 

高野という中学からの腐れ縁と遊びまくったのもこの頃。

今でもめちゃんこ仲が良いという。残念ながら。笑

 

カラオケかボーリングに週3くらいで行って

完全感覚DREAMERを2人で歌っていた気がする。笑

 

 

周りからは最高に高校生を楽しんでいるように、見えていたはず。

 

 

 

だが、心の底から人を信じられない自分がいて、人生とは薄っぺらい人間関係が続くものなのかなと、とても憂いを感じていたことを強く覚えている。

 

多くの友達がいるのに、じゃあ一番頼れる人は? と聞かれたら

誰も頼れないと、悟った瞬間に悲しくなったのだと思う。

 

つまりは、自分のことを気にかけている人っていないんじゃないかと。

自分の全てをわかってくれる人なんて、出てこないんじゃないかと。

 

それらの不安がめまぐるしく、毎日意識の頂点を巡り、

どんなに友達が出来ても、どんなに面白いことをしていても

全ては人生の浪費、ただの作業であり、全てが虚しくなった。

 

 

人生って、こうやって退屈な時間が流れていくのかなと。

大人になるって、全然楽しくないことなのかもしれない。

人って、すぐ裏切るし、自分のことしか考えてないし、何より、

俺のことを理解してくれる人間なんて、どこにもいないんじゃないかなと。

 

表面的に、楽しいやつ、面白いやつって思われて終わり。誰も信用してくれないし、誰も自分を大切にしてくれる人なんていないんじゃないか。

 

 

それが嫌で、

嫌で嫌でしょうがなくて、この世に生きてる意味を考え、

ずっと苦悩していた。

 

飯食って、学校行って、授業を受けて、放課後遊んで、バイトして、飯食って、寝て、起きて、、、、、

 

何が楽しいんだろう。

心の底からリアルを楽しめない。

 

 

 

だから、現実逃避として、

この頃から「ニコニコ動画」にハマる。

 

オタクっぽいギャルアニメはあまり好きじゃないが、ゲーム実況の面白さを見出し、ひたすらに実況動画を見る生活に入り浸る。

 

(※ニコニコ動画のリンクが動画で上手く表示されない方は、ページを更新して見てみて下さい。多分見れるようになります。)

 

www.nicovideo.jp

 

 

 

よーらいさんの動画。

VIPマリオにハマったのはコレがきっかけ。

 

知らない人はコチラ、2ちゃんねらーが本気で制作している改造マリオです。

 

 

VIPマリオ攻略 Wiki*

 

 

激ムズですが、めちゃ面白いです。

 

 

よーらいさんはこの翌年に

佐賀の大自然を堪能する動画をあげ、ニコニコ動画アワードを受賞している

 

 

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この画面が本当に懐かしい。

 

 

 

 

 

www.nicovideo.jp

 

 

「佐賀よかでしょう」

 

bokunatusaga.at-ninja.jp

 

 

 

この動画に激ハマりし、自分の知らない地域や、のどかな大自然を巡る人生の希望を持つことになる。

 

後に、ここから派生し「水曜どうでしょう」が好きになり、インスパイアされ、原付き日本一周などにうつるのである。

 

 

itotl.hatenablog.com

 

 

 

 

とにかく、つまらない日常を抜け出したくて、

自分にウソをついて、心を打ち明けられないモヤモヤした人生を

笑い飛ばしてくれるような存在が、ニコニコ動画のゲーム実況主だった。

 

 

 

 

www.nicovideo.jp

 

 

www.youtube.com

 

 

 

www.nicovideo.jp

 

 

www.youtube.com

 

 

 

www.youtube.com

 

 

どれも2周以上したのではないかな。。

 

 

今では廃れてしまった実況者から、一躍有名になった実況者まで勢揃いである。

キヨなんか、あの頃からニコニコ動画の一世を風靡したかと思いきや、今じゃー有名youtuberだろう。

 

 

よーらさんの他にも、うんこちゃんの6ポケと、P(ピー)の高速マリオは好きすぎて3周くらいしていると思う。

今でもうんこちゃんは大ファンだ。(知っている人には伝えるが、僕は人様の実況に迷惑をかけないファンである)

 

 

ここらへんは大好物なので、同じ境遇だった者とは

朝まで語れる自信がある。

 

 

 

 

高校では、いっぱい友達がいて、常に楽しそうで、帰宅部で自由だし、

毎日学校を、楽しんでいるように見えていたであろう宮代の裏には、

 

こんな、暗くも明るい事情があった。

 

 

 

あのころの宮代を慰めてくれたのは、紛れもなく、

ニコニコ動画のゲーム実況主だった。

 

 

全ての実況者に感謝をしたい。ありがとうございました。

 

今でもよく見ています。

一生見続けたいと思う。

 

 

 

***************

 

 

高校2年、感動的なストーリーは

次の記事へ。。。。。。。

 

 

 

 

中学生のころのおはなし

 

*******************

 

通っていた小学校の、

隣りにある中学校に通う。

 

全くライフスタイルは変わらず、同級生も同じ学校に進学。

増えたのは、他小学校の生徒と合流したこと。

 

小学生で悪さに凝りたと思いきや、

今度は別の方向で、迷惑をかけていた中学時代です。

 

ただただ、ゲーセンにいました。

 

 

 

 

 中学1年

部活は、小学校からやっていたバドミントン部に入りました。

体育が苦手だった僕は、とても苦痛でした。

 

 

というのも、僕は幼少期より皮膚病を患っていて(伝染性膿痂疹

今でも後遺症があるのですが、掻き壊して治ってを何度も繰り返しているせいで皮膚が弱くなっているので、

 

少し引っ掻いただけで、炎症を起こしたり、大きな痒みが伴ったりと

この皮膚病と戦う身体に、昔から苦悩していました。

 

掻き壊した傷跡が目立ち、特に夏とか、

ガーゼや包帯を巻いてグロテスクな傷跡を隠してました。

 

半袖半ズボンになって身体を見せることに、激しく抵抗がありました。

なのでスポーツが面白いと思えない人生を歩んでいました。むしろ大嫌い。身体を動かすのは好きだけど、汚い皮膚が見られて、いじめられたくない....という心理状態、

 

この外的要因で、体育が嫌いになってしまっていました。

なので、スポーツもうまくならず、大の苦手科目でした。

 

(のちにこのスポーツ嫌いは高校2年時にある芸能人との出会いで解決されることとなります)

 

 

思春期のこの頃は、それが原因で心を誰にも打ち明けられずに、表向きにはポジティブキャラで、友達も多かったけど、腹を割って話せる友だちがいない。そんな自分と戦っていました。

 

 

ひたすらにゲームセンターに通う日々。多彩な世代の方と出会い、着々とゲーセン友達を増やしていました。

完全にメダルゲームの覇者になっていました。この頃の僕のイメージは同級生からしたら完全に「ゲーセンの常連」100%そのイメージでしかないと思います。

 

 

ちなみに確かこの年だったかな? 幕張メッセで行われた小学館主催の「次世代ワールドホビーフェアデュエルマスターズ全国大会では、Bブロック準優勝でした。

 

僕のボルベルク・クロス・ドラゴンデッキに通用するものは少なかった気がします。

1位決定戦は、自然デッキに高速でぶっ殺された覚えがあります。

 

僕のデッキは重くて(火・光・闇) ですので火自然に対しては「ラ・ウラ・ギガ」か「ギガスラッグ」がでないとキツイという。今思えばゴミデッキですね。

 

 

 

 

 中学2年

たしかこの頃です。僕が最も印象に残っているゲームセンターでの伝説。

 

 

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僕が大好きな筐体 「押忍!番長

こいつで死闘を繰り広げたことは今でも忘れません。鮮明に覚えています。

 

 

結論として、一日で大爆発しました。

 

 

 

 

 

ビッグボーナス33回

レギュラー9回

 

 

 

 

確か、これを連続で当て続け、

オープン9時〜未成年退店の18時まで無双していました。

 

 

預けたメダルは1日で3500枚くらい、途中で浮かれて人にあげまくったので、実質4500枚くらい稼いだと思います。

 

正規価格は1000円で300枚だったので、1、5万円分くらい稼いでますね。転売ビジネスとしても500枚で売っていたので9000円くらい儲かってます。実際に売っていたのでそのくらいは稼いだのかな。

 

 

ギャラリーが15人くらいいた気がします。当たりすぎて、本当に無双でした。スロットの決め打ちは勿論、性質やチャンス目や当選確立など全ての情報を極めていたので、中学2年のガキが、こんなに出してるってのは、割と目立っていたと思います。

 

いつもの常連組とテンションぶち上げて、浮かれまくってました。

この日ほど、自分が神だと思った日はないかも知れない。

 

 

 

最高のゲーセンライフでした。ギャラリーの前で、番長BIG中のパンダで、

青7を決め打ちして、あの轟音が鳴り響き、1G連した瞬間が

人生のピークだったかもしれません。

 

 

 

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番長「100年早いぜ!!」

 

 

 分かる人には分かる。

あれの爽快感はたまんねえ〜。。

 

 

 

あとは、ただひたすらにToアミー漁と、マリオの不思議のコロコロパーティ

 

 

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これを極めてました。本当に極めてました。

マリオは「稼ぐうまさ」に関して敵はいなかったと言っても過言ではないです。

あと、リュウグウノツカイはToアミー漁で知りました。

 

 

クリスタルの位置と数が最も良い台を、朝イチのイオン開店時に、食品売り場からゲーセンまでダッシュで確保していたのがめちゃめちゃ懐かしいです。またあれやりたいなあ。。。

 

エレベーターガンダしてました。笑

2段飛ばすテクニックを身に着けていました。

 

マリオが取れなかった時は、アミー漁か北斗の拳のパチンコで我慢していました。こういう時に限って、アミバが出て当たったりするんですよね。

 

 

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完全にゲーセン充でした。

帰りの18時には、メダルで真っ黒になった汚い手でエスカレーターを降り、安くなったおにぎりを食べたり、ラスコーラやスーパーカップを食べ飲みしながら、チャリでゆっくり帰っていました。

 

あの時、一緒に帰ってた仲間たち。いまどこで何をしているのだろうか。

もしこれを何かの拍子で見かけていたら、またみんなで行きたいと思う。

 

 

太鼓の達人で、全国48位と神奈川県2位を獲得したのもこの頃です。

ガチ勢やっていたので、リザルトをたくさん持っています。

「あんこの太鼓の玄人日記」なんていうブログで、活動報告をしていたのも覚えています。

 

 

 

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一般受けしそうな結果だとこれとか。。。

 

「きたさいたま2000」フルコンボとかは余裕です。注目してほしいのは可の数。

少ないでしょ。頑張ってました。。。

 

 

経験者に語るとすると、、、、、

 

ダブルストローク秒速31。

ロール最高14、平均11。

ラジアタバチ。

 

Rotter(裏) 124万 可48

Don tcut(裏)121万 可20くらい?

エンジェルドリーム(表)110万? 可12

X-day2000 120万 可30くらい?

 

だった気がします。

 

引退してから、初音ミクの消失(裏)はやりましたが初見はノルマ落ち。。

なんとかクリア安定はするようになりましたが、、

 

今でてる、

双竜ノ乱、カオスタイム!!!!!!、幽玄ノ乱、とかは余裕でできないです。。。。

 

 

今じゃ太刀打ち出来ないよなー。

 

日本チャンピオンは小学5年生ですよね確か。

音ゲーもすごい時代になったもんだなあ。。。

 

 

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 一応、この曲の当時ランキングで全国48位でした。

AC12世代に、史上最も難しい曲と言われていたものです。

 

神奈川県2位は、やわらか戦車(裏)可2でした。

精度曲じゃないと取れない順位ですね。。。

 

結果として、10万円以上は投資した。

 

 

 

 

 

 

中学3年

相当ゲームで充実していますが、3年は一風変わって、

悪いことをしていました。

 

 

学校裏サイト運営」「破壊部創設」の2つです。

 

 

この頃から、世の中の理不尽への反抗を

しっかりアウトプットし始めたんじゃないかなと思います。

常に疑問がありました。世の中のおかしいところ。

 

この時は、学校の先生が生徒に対して暴力をふるっているだのどうこうを、

学校裏サイトの運営を通じて、みんなにスレッドへ書き込んでもらっていました。

 

しかも、裏サイトのレンタルサーバーを、近くの中学校に通う友達に借りさせる

IPアドレスで掘られても、僕らが特定されないという犯行に及んでいました。

 

 

そして破壊部の創設。これも抗うための機関でした。

目的は「教育委員会へ中学教師を訴えること」

 

 

という意義で、面白半分で集まっていたのですが、

 

ジョークがどんどん過激になり、ダイナマイトの作り方を調べたり、

深夜に窓ガラスを割って警察を呼んでしまったり、学校近くの公共物に損害を与えたりなど、、、、

 

 

そして、しまいには破壊部の活動ミーティングと称した朝の教室での雑談に、急に担任の先生が来て、

「これはなんだ?」と、破壊部と記された僕が作った名刺が見られ

 

バレてしまいました。その時に、裏サイトの運営に関しても白状させられてしまいました。

 

 

 

周りの一緒に活動していた友達は、親とともに職員室の先生に謝りにいったりしていましたが。

 

 

僕は、先生が自分たちの不祥事をバラしたくないだけにしか思えず、

卒業の日まで、謝ることはありませんでした。当時はその理不尽がまかり通ってしまうことが納得できなかったのです。今でもその想いは変わりません。

 

 

中学3年次は、同級生のヤンキーが、他校のヤンキーと喧嘩して、

学校にヤンキーが乗り込んできて、警察が来たり、他先生とも多くのトラブルがあったりと、

 

湘南の中学、ならではと言わんばかりの日々を送っていたように思えます。

中立的な立場で、オタクとも女子とも、ヤンキーとも野球部やサッカー部とも仲良く遊んでいました。

 

 

そんな、中学時代でした。

小学生のころのおはなし

 

昔話をつらつらと書いておこうと思います。

将来の自分が、今の記憶を忘れないように。

 

 

 

 

 

僕は、神奈川県茅ヶ崎市の小学校で育ちました。

6年間、どんな人生を歩んでいたかというと、

 

 

「恋愛」「ゲーセン」「万引き」

この3つのワードで大体全てが完結すると思います。

 

うんこみたいな人間でした。本当に

 

表面的には楽しそうだが、本質的には、

人生が楽しくなかった。あのころです。。

 

 

 

 

小学校1年

いじめっ子にいじめられる。

周りの友達とは仲良くやっていたし、そいつはすぐ転校したため、不登校がどうとか、そういうのは無かった。

だが最も印象的なのは、僕のアルティメットレアの「ブラック・マジシャン」を

そいつにパクられたことだ。確か愛知に転校したんだっけか、あいつ。

 

次会ったら、絶対取り返してやる。

 

 

小学校3年

好きな子ができる。ここから僕は大恋愛の人生が始まるのだ。そうこの時から、

僕は恋愛にしか生きることが出来ないくらいの『恋愛体質な人間』に生まれ変わってしまったのだ、この時から今まで(笑)

 

本人には一度も告白していないが、実に7年間。高校1年まで、

恋していた。そろそろ話そうかな〜 こんな青春の気持ちを味わえて

本当に幸せでした。学校が大好きになった。

 

 

 

小学校4年

その子のことしか考えられない1年間が過ぎ、余裕ができて少し賢くなった僕は

悪さを覚えるのだ。そう湘南のヤンキーら、楽しい誘惑に誘われて、多くの犯罪を試みることになる。

 

お菓子やカードが無料で手に入る感覚を知ってしまった。

それはもう、社会的に膨大な金額の迷惑をかけてしまうことになる。本当にごめんなさい。

 

好奇心の強い僕は、お金がほしいわけではなく、単なるゲームとして犯罪を犯しまくる。達成した瞬間の喜びがたまらなく病みつきになってしまったのだ。

 

そして、ゲームセンターに通い始まる。これこそ人生のもう一つの転機。

メダルゲームという快感を覚えてしまったのだ。3年生から楽しんではいたが本格的に初めたのはこの頃。

 

 

 

 

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週5でゲーセンに通い、北斗の拳エヴァンゲリオンなど、数多のパチンコやスロットにハマり。UFOキャッチャーも極めようと試み、常連のおじちゃんや、元ヤンのお兄ちゃん、幼稚園〜大学生までの年代や生まれ育ちの垣根を超えた人脈を手に入れる生活の始まりである。コミュ力はここで身につけた。

 

 

また、ずる賢い僕は「メダル転売ビジネス」を始め、稼いだメダルを売りさばいていた。なにせメダルを1万枚以上持っていたので、何でも出来たのだ。

 

はなまるうどん「かけ小100円」と食品売り場の試食コーナーでお昼ごはんとおやつを食べる。駄菓子屋でお菓子をくすねる。

お金なんてなくても生きていけると、本気で思っていた。

 

そして、2ちゃんねらーになる。小学3年で2ちゃんねらーだ。この時期にしては早いと思う。

毎日2ちゃんねるを漁る生活。世の中のアングラを知って、優越感に浸っていた。時にはスレも立てていた。ゲームも好きだったので、ワザップで人気のスレッドとして取り上げられた時は、とても嬉しかった。笑

 

また、ネット上のチャットで不特定多数の人とコミュニケーションを取ることも覚えた。あの頃は「ネットの出会い=タブー」という風潮があったためか、積極的に関わりにいった。出会った人はさすがにいないが、個人間でやり取りしたり、mixiだけで繋がったりはした気がする。

出会いはゲーセンで充分だった。

 

 

 

小学校5年

犯罪がバレる。自分ではなく先輩が。

僕らのチームは約束をしていた。「誰かがバレても絶対にチクらないこと。」あの先輩はそれをいとも簡単に破ったのだ。人間は何をするかわからない。恐るべし。

 

ここから始まる毎週3回程度の先生面談。教育指導の先生や担任、校長先生などと事情確認や、話し合いが続く。最終的には親に全てを打ち明け、お店にやってしまった分の金額を全て払いにいった。

 

この時は、猛省した。親を悲しませてはいけないなーと心の底から思った。

 

親というより、人を悲しませてしまうということは、どれだけ自分の胸が痛くなるかを思い知ったのだ。この頃から、人を楽しませたい、喜ばせたいと思い始めた気がする。大切なことは全て万引きが教えてくれたと言っても過言ではない。

 

親に打ち明けたその日から、自分の中で喪失感がでかすぎて、

一度も万引きをすることはなかった。

人を悲しませてしまうことは、絶対にしないようにしようと心に誓った。

 

ちなみに、人間は一度汚れてしまうと、足を洗うのは難しいと言われるが、まさにその通り。

実際、お店に入って「盗んでしまおう」と思ったことはこの後、50回くらいあったと思う。その感覚が完全になくなったのは中学2年くらいの時だろうか。犯罪は絶対にやってはいけない。制御が効かなくなってしまうからだ。

 

 

 

遊べることが減り、暇をつぶすためにインターネットとゲーセンに逃げ込む日々。ネットから刺激的な知識を得たり、可能性を知る。ゲーセンではどんどん新しい人とつながり、世代の垣根を超えたコミュニケーションを体得していく。将来の夢は、ゲームセンターの店員だった気がする。

 

そして、太鼓の達人を始めたのが、この時期である。

ゲームセンターは、僕にいろいろな武器を持たせてくれた。

 

多分、この時に自分のホームページを開設した。自分が好きな動画や、太鼓の達人のリザルトをあげていくプライベートサイトをレンタルサーバーを借り、作った。

 

ネットで仲良くなった人と、相互リンクするのが楽しかった。

ブログなんてものが、まだ流行っていないときかな。流行り始めてすぐに、

gooブログに切り替えたのを覚えている。