I`m traveler of the life

人生を表現し、人々に感動を

今この瞬間が、過去になるということ。未来を考えるということ。 − 神奈川県茅ヶ崎市

 

 

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先日、母校の中学校でお話をさせてもらう機会があった。

 

中学2年生 111名 に対しての総合的な学習。 『進路のこと、将来のこと』について、僕なりに思ったことを伝えさせてもらった。僕の所属していたバドミントン部の生徒はいるかと手を挙げさせようと思ったら「バド部はもう無いですよ!」と生徒から声があがり、そういえば自分たちの代で終了していたことを6年ぶりに思い出した。

 

 

小中高と同窓会の幹事をやっていて、高校は一応卒業生理事会のメンバーでもある。これだけ聞くと、ヒエラルキーの頂点に君臨するリア充軍団のトップでかつ生徒会長でもやっていそうである。まぁ今となっては、このように友人の縁あって呼んで頂いたり、嬉しいことに将来を期待をされたりするのだが、じゃあ在学中は優等生だったか、脚光を浴びていたかというと、全くそんなことは無い。むしろ先生方からすれば、非常に扱いにくい生徒であったに違いない。

 

小学校ではヤンキーに憧れ、さんざん学校にも親にも迷惑をかけた。中学校では俗に言う「学校裏サイト問題」に関わったり「破壊部」とかいう本当に厨二病インフィニティみたいな組織を構築して、バカなことを目論んでいた(しかも結局全部ばれて無限に怒られた)高校では落ち着いたものの、気に食わない先生に対して我慢ならずに授業ぶっ壊してブチ切れたり、文化祭関連では今でも納得してないものの、正当性を主張するためにTwitterで学校の批判を拡散、また署名活動と称して周囲を巻き込み、なんだかんだ学校に迷惑をかけることもした。諸々、あの時はホントにすいませんでした。。

 

しかも小学3年から高校2年くらいまではゲーセンに週4くらいで通い詰めており、まさに "ゲーセンの常連客" として青春を謳歌していた。あのころハマった「押忍!番長」のBIGボーナス時BGMは一生忘れないだろう。

 

まさか、あのころ、将来自分が母校の生徒たちに対して「何かを話す」なんてこと、想像すらしていなかった。人生って本当に面白い。

 

 

 

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(中学時代に残した功績といえばこのくらいである。これだけは他の追随は許さなかった)

 

 

どうやら、人間は変わる生き物のようである。あのころ想像もしなかった自分になることができるようである。10年前の僕はボルベルク・クロス・ドラゴンを駆使してデュエルをしていた。近所のコンクリートで闇のゲームが行われていた。そんなものは3年ほど前にヤフオクで6000円で売ってしまっている。さぁ、10年後は、今の自分を見てどう思うのだろうか。

 

そんな楽しみのために、僕は日記やブログを綴っている。理想の過去を作るために生きていると言っても過言ではない。小学2年生のとき、アルティメットレアのブラック・マジシャンをパクられた記憶は今でも忘れない。あのいじめっ子め。おぼえてろよ。

 

 

 

 

授業の後に、懐かしい図書室で先生と雑談をした。授業中にも思ったが、真面目な子しか周りにいない。あぁイケイケな子たちは別室で説教でも食らってるのかと思ったが、どうやらあれで全員のようだった。僕らの世代とは大違いの真面目っぷり。もう牛乳は投げないようである。

 

時代とともに、文化も変わっていくものだと思った。だけどなんだか、時が戻ったような快楽に襲われる。地元に戻ると、過去の自分にタイムスリップしたような気がして、なんだか嬉しくなる反面、虚しくもなる。

 

 

 

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(カラフルになりたかった、高校時代の画像である )

 

 

 

 

つい最近、印象的な夢を見た。記憶を絞り出して書き起こしてみる。

 

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僕は、懐かしい高校の廊下を歩いていた。おそらく遅刻。教室のある階まで登りきる。そうすると、自分のクラスのドアから先生が顔を出している。僕は自然と、走っていた。僕は学校が好きだった。教室の前まで着く。教室奥の窓からは輝く夕陽が見える。まぶしくて、美しくて、全身が震える感覚を味わった。教室に入ると、もう最後のホームルームである。(僕はよく、最後のホームルームだけ出て、1日欠席を免れていた。おかげで3年間皆勤であるが、遅刻は100回を超えている。)

 

なんだかその日のホームルームは雰囲気が違っていて、すぐに察した。、卒業式後の、高校最後のホームルームであった。みんな感動している。最後に入ってきた僕を見て笑う奴がいる。あのころと変わらない日常が夢に現れていた。なんだかその後はおかしなストーリーになって「あぁついにお前も未来から来たのか」とかいう厨二病インフィニティな展開になり、よくわからなくなって。はい、そのあと、

 

吉祥寺の家で目覚めたのであった。

夢の続きを見たかった。心が震えている自分が確かにここにいた。

 

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時間は進み、移ろいでいく。これは、モノも。自然も。人も。文化も。そして、自分でさえも、すべて同じである。変わらないものもあるが、変わるものもある。変わってほしくないものも、変わってほしいものもあるだろう。そんな風にして、今は過去になり、未来は今になる。たったこの瞬間でさえも、もう過去になってしまうのである。

 

それは悲しいことなのだろうか。嬉しいことなのだろうか。少なくとも、ぼくは楽しめる過去を作っていきたいと思っている。そして「今の今」も楽しめる「今」でいたいと思っているし、もうすでに楽しんでいる。

 

 

どんな過去を生きていくのだろうか。

今を、未来を、生きていくのだろうか。

 

 

今この瞬間が連続することが、もうすでに、楽しみである。

 

 

つづく。