誰もが自分の世界を持っている
自分は世界の中心である。これを個々人が主張することは何ら間違いではない。
これは紛れもない事実だ。
これを否定する考えが蔓延っているが、それは論点がずれてしまっている。
これは、大きな宇宙の共同体の一部だと、認識するということであり、上記の否定ではない。
アドラーの主張は素晴らしく、嫌われる勇気とは究極的には他者を気にしない考え方であり。
自分が世界の中心であるという物理的観点では同じである。
現在「ゲンロン0」という哲学本を読んでいるのだが、しっかり読んだら感想も書き残したいと思う。
同じような二層構造が社会にあるという主張が述べられている。
つまりは、これらの主張は、
自分が世界を変えることもできれば、
思い通りに世界を描くことも出来る。ということである。
そして、誰もが自分の世界を持っているのだから
他者の世界にアクセスすることも出来る。
それはライブハウスかもしれないし、映画かもしれないし、宗教かもしれない。
誰かの世界にアクセスすることもできれば、自分の世界に没頭することも出来る。
こんなに広い選択権を持っているのが、現代に生きる人間なのだ。
そして、それらの世界を交差する空間が、SNSだったり、複数間でのコミュニケーションだったり、コミュニティというものだ。
これらは、不特定多数の敵ではなく、事実「共同体」なのだ。
こればっかりは具体性を帯びてしまうと、急に安くなってしまう。
なので、本質だけで留めておこうと思う。
どれだけ素晴らしい世界なのだろうか。
今日も今日とて、自分の世界を生きようと思う。
正直、これしか言うことはなくて
あとはすべて修飾語である。
なので、修飾語を重ねていこうと思う。
人生は本当に素晴らしい。
あとは、その証明を。
(中3の時に書いた、年賀状です)