I`m traveler of the life

人生を表現し、人々に感動を

こんなんじゃダメだ は クソだ

 

とある日のこと。

 

 

 

なんだか気持ちが上がらない、

 

家にこもって、予定もなくって、さあ今日も頑張ろうって

思っているのにやる気が起きない。

 

 

美味しいご飯を食べても、コーヒーを飲んで集中しようって喝入れても、

栄養とか、なんだか、ソーユー話じゃない。

 

 

 

特に何かがあったわけでも、というか考えてみたら、

 

何かがあるほど忙しくない。そんな虚しい日常。

 

 

 

 

 

この繰り返しで、何十年も生きてきたって言っても、

ぜんぜんウソじゃないし、むしろ、

 

そんなんばっかりで、

週の半分は、そんな人生で、もーつまらなくて、本当につまらなくて、

 

 

与えられたことをこなせば「無」になれるからって、無生産でも集中すれば悩まなくて済むからって、

 

もしくは、「趣味」と定義した何かに「没頭」したことにして、

他者に発信をして承認を求める。

自分に「やってる感の意味」を強いる。

 

 

だって、なんだか表にしにくかったり、

生きる希望ないとか、人生つまんないとか、ぼやいてたって、

 

だーれもおもしろがってくれないし

自分もつまんないし、

 

それこそ、その先の未来に何があんだとか、

このまま生きて、どんなことがあるんだとか、

 

 

考えれば考えるほどにつらくなって、というより、

やる気がなくなって、生きても生きなくても良くなってしまう。

 

 

 

 

 

そんな虚しい日常を、迎えることがよくあるけども、

そんなとき、

 


好きなアーティストの曲を聞いて、大好きな場所に行って、

大好きな人と一緒にいれば、

 

 

どうしてあんなに退屈だったのかと思えるくらいに『生きる希望』が沸き起こる。

 

 

 

またこれから頑張ろうって

また、ちゃんと生きていこうって、心の中に小さく刻む。

 

 

 

 

 

 

この現象を、なんと呼ぼうか。

 

 

 

 

 

 

残念ながら

人はこれを「モチベーション」とか呼んでいるのだろうか。

たぶんそうだろう。

僕もそうやって使うことがあるし。

 

それはすごく良いことかもしれない。

そうやって、人は向上していくのかもしれない。

 

でも、この瞬間を、

 

 

 

「喜び」と解釈して、

拾える人はいるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はこう思う。

 

 

 

この "瞬間" を、努力しようとか、

まじめに生きようとするのは、クソだ

 

 

こんなんじゃダメだ は クソだ。

 

 

 

 

 

その現象に、生きる希望があるんだって。

幸せがあるんだって。

 

 

 

その瞬間を、逃すなって

 

 

 

もはや、そのために生きてるんだって。

そうやって、開き直ったって、良いと思ってる。つか、

 

もっと、決めつけて、良いんじゃないかな。

 

 

 

 

 

あなたは、努力のために生きてますか?

 

喜びのために生きてますか?

 

 

 

 

 

 

じつは、あなただけでも、僕だけでもない

誰にでもある「つまらない日常」のハナシ。

 

 

 

 

 

 

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自由になる訓練。

 

分かる人には超絶分かる話。

 

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まだ足りない。

精神的に自由になりきれない。

 

 

 

自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。哲学用語。

自由 - Wikipedia

 

 

 

 

朝だって、起きなきゃって思ってしまうし。

予定に遅刻しちゃ駄目だーって思ってしまうし。

ちゃんと仕事しなくちゃーとか、もっと頑張らなきゃとか。

 

 

 

これらは全て、自由に生きることを害する「悪」たちだ。

 

 

 

 

毎日好きなことだけして生きれれば、最高だけど、

なかなかそれって難しい。

 

訓練としたいのは、そこへの疑問だ。

 

 

 

 

本当に難しいのか? 本当に苦しいのか?

 

 

 

 

人間はよく、辛い、疲れた、苦しいといった言葉を口にする。

それらは反射なのか、無意識なのか、はたまた承認欲求なのかは分からないが、

 

まじめに考えて言っているようには思えなくて、大体それは、

ふざけた時に出てくる言葉である。

 

 

 

大して言葉の意味を考えもしない。

そして、辛い疲れた苦しいの延長線に、不幸せがあるかのように。

自分を自分で、洗脳している。

 

 

だいたい、何が辛いから、どうなんだってんだ。

 

 

歩きすぎて、足が痛くて疲れた対価で得たものがあるんだろう。

彼氏と別れて悲しい先に、自分の未来が待っているんだろう。

辛くて苦しいブラック企業に務めている自分は、安定を望んでいるのだろう。

 

 

誰も、何も断定をしていないし、

予測できる未来から不幸せを感じ取っているわけではない。

 

何より不幸せだと、思い込みをさせているのは、あなたなのだ。

 

 

 

ロジカルシンキングさえ身につけてしまえば、どうってことないのだが。

それを初歩的に説明すれば、

『冷静に考える』ということさえできればオッケーなのだ。

 

 

 

あなたは毎日の選択で、自分が得をするような、もしくは、

損をしないような意思決定を取っているはずだ。

 

間違っても自分が得をしない、損をしやすい意思決定を究極的に取ることは、正常な脳みそが働いていれば、まずありえない。

 

 

だけど、人間の誤作動は、意思決定をしたあとで、

その意志を継続することが出来ないことだ。

 

 

小さなイチを積み重ねていけば、大きな自分と巡り会えるのに、

一つ一つの積み重ねたものを「やっぱりやめておこう」と降ろしてしまう。

 

 

 

なぜなら、当時の意思決定を優先できない自分がいるからだ。

あの時の判断は間違っていた。いまの判断が正しいと。

 

 

だけど本当は、単に自分の判断が合っているのか、間違っているのか、

それが分からなくて、

 

判断しかねて、

社会に任せて、

社会のせいにして、

自分を社会に売り捌かれた被害者のフリをしているだけなのだ。

 

 

 

そうなっちゃうと、まぁーーたいへん。

マザーボードがない壊れたパソコン、ただの抜け殻とおんなじだから、

 

「納得」という概念が消え去ってしまう。

 

 

それなら良いね、そしたら僕にぴったりだ。

これこそが人間に与えられた「心」という特性なのに、

それじゃあ、ただの劣化版生命体だ。

 

 

絶対にやめたほうがいい。

独立なんて、厳しいことは言わないから。

他責だけはやめておこう。

 

アイデンティティがなくなっちゃうからさ。

 

 

 

だから極論、自分さえ良ければ良いという考え方は、持っておいたほうが良い。

持っている方が、あなたが幸せになれる確率があがる。

 

 

なぜなら、社会に依存しないあなたの意思決定が、

あなたの脳みそに、今後も信用される可能性が高いからだ。

 

 

 

自由主義とは「自己決定権に制限を加えることができるのは危害原理のみである」という立場である。加藤尚武[13][14]によれば、自由主義とは

  1. 成人で判断能力のある者は(valid consent, 有効な同意)
  2. 身体と生命の質を含む「自己のもの」について
  3. 他人に危害を加えない限り(harm-principle, 危害原理)
  4. たとえ当人にとって理性的にみて不合理な結果になろうとも(the right to do what is wrong, 愚行権)
  5. 自己決定の権利をもち、自己決定に必要な情報の告知を受ける権利がある(autonomy, 自治権)、とするもの。

 

 

 

理性は制限ではなく、合理はかたっ苦しいものではない。

いずれもそこに、幸せかどうかが内包すると思ったって、別にいいんじゃないか?

 

 

だから、変な誘惑や誰かの指示なんかに惑わされず、いや、

そういう美味しいアリバイに乗っかって、誰かのせい、社会のせいにせず、

 

 

 

わたしの幸せは、わたしが責任を取ります、と

 

 

 

そういう態度さえ、堂々と出来ていれば、なにも、

不幸せ(=幸せから遠い)人生なんて、浮かばないはずなのである。

 

 

 

あなたの人生は、あなたに選択権があって、

いまあなたが過ごしている時間も、あなたが有意義だと思う使い方をしてもらって結構で、

誰になんと言われようが、あーだーこーだあろうが、

 

 

いや僕は幸せなんで、って

誰のせいにもせずに自信を持って、誇りを持ってさえすれば、

基本的になにをしたっていいわけだ。

 

 

だけど、人に迷惑をかけたり、法律を破ったりすると、

自分が幸せに生きるための、壁が増えてくるので要注意。笑

 

社会って信頼がないと、なんもできないからね。

そこらへんは、賢くやれると良いよね。

 

 

 

 

てな感じで、自由になるコツは

誰かに束縛された人生でもなく、誰かに気を遣われた人生でもなく、

 

あなた自身が、あなたのために使うことが出来て、

それはあなた以外の誰かに責任を追わせることは出来ないってこと

 

 

これさえ覚えておけば、なんでも出来るんじゃないかな。

 

 

今から海外行ったって、家でぐうたらゴロゴロしてたっていいじゃないか。

お金をたくさん稼ぎたいなら、稼げばいいじゃないか。

ずーーーーっとクーラーの効いた部屋でアイス食べて、二度寝して起きてって過ごしたいなら、そればいいじゃないか。

 

それが幸せになる道ならば。

 

 

 

 

 

 

www.youtube.com

 

 

 

いいんですよ いいんですよ あなたが選んだ人ならば いいんですよ いいんですよ あんたが選んだ道ならば

 

あなたといる意味を探したら 明日を生きる答えになったよ 明日を生きる意味を探したら あなたといる答えになったよ

 

 

 

 

 

って感じで、ロッキン楽しみです!

 

 

 

 

p.s.

 

この記事のインスピレーション

 

 

 

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このひと、ほんとに幸せそうに生きるよなあ。

 

 

 

 

 

シンプルな幸せを確信すること

 

 

寝る前に30分

毎日考えることがある。

 

 

 

「今日という日を、幸せに生きることができたか」

「今日という日の、どの瞬間に、喜びを感じることができたか」

 

 

僕の瞳には、美しいものが写っていただろうかと毎日考える。

そして、あの瞬間が美しいと思えたと、再確認するのだ。

 

 

僕は、自分が美しいと思ったものは、誰に何と言われようと美しいと捉え、

それで喜びを感じる。

 

 

 

人間は誰しも自分が美しいと思う基準を持っていて

どの色が美しいと感じるかは人によって全く違う。

 

 

 

 

もしも僕が「 黒 」を美しいと感じて、

世界中の誰もが、その色は汚いよと言ったとしても、

 

黒が綺麗だと僕が思ったならば、それは「正しい」のである。

 

 

どんな人間も、他人の美しさの基準を否定することはできなくて、

誰しも、自分が美しいと思ったものを美しいと言う権利があると思う。

 

 

 

 

 

美しいの定義なんてなんだって良くて、

 

 

可愛い子を見たときの「美しい」も

誰かが努力をしている姿を見たときの「美しい」も

大自然を目の当たりにした時の「美しい」も

狂気でカオスな世界を見たときの「美しい」も

命が生まれてきたときの「美しい」も

 

 

どれも違う魅力があると思うし、

誰がどの色を話しているかは人それぞれである。

 

 

 

 

あなたの瞳に映る景色は美しいですか?

どんな色が見えていますか?

それらを美しいと語ることができていますか?

 

 

心の底から誇れることが大事だと思う。

 

 

 

 

 

自己実現か、幸せか。

 

 

 

 

これらは相反するものではなく、併存するものでもない。

戦う相手でもなければ、運命共同体でもない。

 

 

どうしてか、この2つで是非を問うことが多い気がするのだが、

両方やったらいーじゃんって僕は思う。

それでいーじゃんって思っている。

 

そんなことを議論する時間があるなら、

ゲームをしながら筋トレしたい。やりたいことでお金を稼ぎたい。

 

 結局、自分が楽しければいいと思っている。

じゃあ、楽しめることを考えればいーじゃんって。

 

 

 

ちなみに僕は、人を感動させることが自分の仕事だと思っている。

なので、幸福指数を高めないといけないし、

常に楽しそうにしていないといけないし、

人生が最高だと本気で思っている必要がある。

 

 

不思議と抵抗や不安はない。

一生継続出来ると思っている。

テストで1位が取れなくても、この領域ならナンバーワンになれるかもしれない。

 

 

心の底から、常に人生が楽しいんだ。

だから、もっともっと、その素晴らしさを世の中に人々に伝えたい。

僕だけが味わっているのは、すごくもったいない気がしてしまうから。

 

 

 

世の中の人々が、

もっと笑顔で、人生を楽しく生きている世の中になればいいなーと心の底から思っている。

だから、こんな生き方もありなんじゃないってものを見せて

心をラクにしてあげたい。

 

今の世の中は、あまりにも心がラクにならないことが多いから。

 

 

僕が人生を楽しく生きる上で、世の中の人々が希望と笑顔に満ち溢れていて、すべての人々が人生に喜びを感じていたら最高である。

 

それができれば、僕はもっと喜べる回数が増える。

自己実現であり、幸せだ。

 

 

 

 

 

 

おととい、

 

7年前から仲の良い、地元のみんなに

誕生日を祝っていただいた。

 

 

 

 

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むげんにシュラスコが食える、無限に最強のお店にて。

ベイクォーター作った人マジ最高過ぎる。

本気で100円あげたい。

 

 

人生で初めて、お店をあげての誕生日を祝ってもらった

誕生日サプライズを企画するのが、めっちゃ好きで、よくやるんだけど、

 

 

これ、めちゃくちゃ嬉しいね。笑 

 

 ちょー感動した。マジ最高だった。

てか、誕生日無限に先だからね、そりゃー気づかない。

普通にびっくりしたわ。

 

 

 

 

 

7年前の、高校生の頃から、

僕ら5人は、何も変わらない日常を過ごして、いまもこうしてバカやってる。

 

 

この後も、ボーリング行って、ドライブして、しょーもない会話して、でもそれが楽しくて、

一人ひとりを見送って、それぞれが帰路に着く。

 

 

 

幼かったあの頃、一生変わらない日常があればいいのにと思っていた。

社会人1年目になった今も、こうしてみんなで笑顔でいれることを、

本当に嬉しく思う。

 

時間って簡単に過ぎていし、人って変わっていくなーと思うのに、

どうしてかこのメンバーといるときだけは、変わらない日々を過ごす楽しさがこみ上げてくる。

 

 

 

僕は、このメンバーで遊んでいる時に

とてもつもない幸せを感じる。

 

これは、誰が何を言おうと変わらない。

僕の瞳に映る「美しさ」があるのだ。

 

 

 

このシンプルで強力な幸せを「掴む」というよりも、

再確認、いや、

 

 

「確信」することができた、

そんな自分を褒めたいと思っている。

 

 

 

僕の瞳の映るこの景色は、本当に美しく見えていて、

誰がなんと言おうが変わらない、僕なりの幸せのカタチがここにあるなと確信している。

確信したことを誇りに思う。

 

 

 

幸せって、社会の中から掴んでくるもののように思ってしまうけど、

実は、自分の心の奥から引っ張り出してくるものなのかもしれない。

 

 

 

もはや、幸せだとかそういう次元の話ではなく、

それがベースで、どれだけ喜びの回数を増やすか、

そんなゲームを味わうために、日々を楽しんで生きている感覚である。

 

 

 

そんな考え方、生き方もあるんだなあと、

ちょっと心の奥にしまってみるか、面倒くさいから外にほったらかしておくか、まあどっちでもいいけど、

取り敢えずどっちかにしてみると、なんか人生が変わるかもしれない。

 

 

 

 

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あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの

かもしれないしね。

 

 

 

 

 

 

あなたにとって、大切なものはなんですか?

いま、大切にしなければいけないものはなんですか?

 

 

 

 

 

大切にできてないなら、大切にした方がいい。

それがいつ、大切にできなくなってしまうかわからないから。

 

 

 

 

 

いちばん大切なものを、一番シンプルな幸せを、

 

まずは引っ張り出して、

思い出して、

目を凝らして、

 

その景色を、再び見てみるのも、いいかもしれない。 

 

 

 

 

 

僕は、それで人生が変わりそうだから。

 

 

 

 

 

寝る前の30分が、ブログが一回消えて3時間になったのは内緒のことだけど、

 

まあ、今日はそんな感じで

 

 

 

 

イノベーターとマイルドヤンキーの融合が最強説。

 

FROM  新宿のシェアハウス

 

 

 

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明治神宮での裸足散歩継続中。

何日かサボって4日目です。今日もちゃんとやってきました。

 

既に、足裏が強化されてきて、小さな石ころでは痛くない。。

だんだんバジャウ族化してきている。

あいつら、ホント足裏強すぎ。追いつきてえ、。。。

 

 

詳しくは、過去記事。。。

 

 

itotl.hatenablog.com

 

 

 

 

 

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シェアハウス、無限リフォーム大会。

住民6人とも、断捨離を始めました。

 

 

水拭き最高にきもちい。

学校で教わった「水拭き」という行為は、とても役に立っている。あざした!

 

掃除をすると心もきれいになる。

道徳の授業はこれだけで充分なくらいに素敵な考え方である。成功体験がつきやすいし。

 

 

 

最近は、地元茅ヶ崎に帰ることをライフスタイルのルールにした。

これによって、忘れていた感覚を沢山取り戻した。

 

 

端折って話せば「幸福なんて簡単に手に入る」ってコト。。

東京にいると、中々身につかない感覚だ。そのぶんスキルや経験、人脈は出来る。トレードオフではある。

 

だけど、地元愛強いけど、東京来てます勢の人間は

総じてもう少し地元に顔を見せたほうが良い気がする。。。

 

 

感動したのは地元に帰れば、すれ違いで沢山の友人に会えることだ。

そして、思った以上に、自分のことを話題に出してくれている人が多いってこと。

 

 

これに気付けない自分が、1ヶ月前までいた。

ありがたみもそうだが、何より嬉しさがこみ上げてくるし、地元でハッピーを掴むことへの可能性を感じた。

 

東京へ消耗しにいってるわけではないと思いつつも、

振り返る時間を得ることが難しいのが東京。

 

 

手続きや、何か大義名分がないと帰る意味が無いと

脳みそのどっかから司令される。往復3時間で、5000円でどうのこうのみたいな、、

お前の合理的なところが昔っから嫌いなんだよ!!(左脳に言う)って分かってても、意思決定できない自分がいて、

それを「成長」とごまかす自分がいることを恥じる。

 

成長 - Wikipedia

 

それは、本当に成長なのかすら危うい。

 

 

www.huffingtonpost.jp

 

 

 

僕はこれから、融合しようと思う。

分裂していた右脳と左脳に別居している自分と自分を。

 

インベーターでありたい【圧倒的成長】【社会の最前線】を望む宮代と、

マイルドヤンキーでありたい【地元愛】【永遠に続く日常】を望む宮代を。

 

 

都合の良い時だけ、お互いのカードを場に出して演じていた気持ち悪い運用方法を改めたい。

本当の意味での『八方美人』は内的要因に当てはまる時に使うのだろう。

そう、こういう時に。。

 

 

 

融合するとは、どういうことなのか?

外に向けて八方美人にならないことだろう。それは最終的に他者理解に通じる。

 

例えばこうやって、ブログで発信することはリスクだと思っている人もいるだろう。

僕だって条件は同じだ。

 

 

髪型が高校デビューする前に僕を知っていた人からは、からわれるかもしれないし、

小中でヤンチャしてたくせに、社会的信用がどうとか、演じてんじゃねえって見られるかもしれないし、

単純に意識たけえな、きめえなって見られるかもしれない

 

 

小学生の時は万引き魔だったと知ったら、プロジェクトの後輩たちから信用を失うかもしれないし、

高校まで金銭管理能力は皆無で、浪費しまくる終わった生活をしていたし、

本質思考と、なんでもアリの概念を混在させている、アウトローな人間に見えるかもしれない。

遊びと仕事の境界線なんかは、とても顕著に出るだろう。

 

 

 

ホリエモンは、著書『君はどこにでもいける』にて

「これからの時代はグローバル人材〈G人材〉と、ローカル人材〈L人材〉に分かれていく」 と述べている。

 

 

これらの亀裂が生まれることは避けられない事実で、

そういう経済文化へと、社会は変容を遂げていく。

 

 

 

だけど、僕みたいな中途半端な存在が、両方の橋渡しをしてみると、なんだか面白いことになるんじゃないかなあと思う。

取捨選択を狭まれる瞬間は、合理的判断により訪れる。

 

 

東京に行くのか、地元に残るのか。

この選択は一度決めた後に戻るのは難しく、サンクコストどうこうではないと思う。

 

 

だが僕は幸いなことに、湘南と東京という物理的障壁の少ない環境であり、ポテンシャルとして「行動力」と「旅が好き」という特性を持つ生き物だ。

 

そういう使命があると思い込んでみるのも実験だと思うし、何より楽しい状態に近づくなら尚更である。

 

 

やはり、二番煎じは面白くなく、渋谷のITベンチャーで最年少上場、西麻布のタワマン在住なんかは、他の人間がやってくれている。そういう世界の表現は、今も誰かがしてくれているのだから、任せてみようと思う。

 

逆に高校生で出産を頑張ったりした僕の地元の友人は、とても大変な環境下でもなお、23歳で子育てをして、結婚をして、週末は湘南ドライブに浸るという、最高のライフスタイルを確立している。

どんなに頑張っても、極端に触れることは僕には出来なそうだ。

 

 

東京と地元に振り切るのは、存在価値がなさそうで、だから僕は

大阪に住むし、ヨーロッパに住むし、オイミャコンに行った。地元が大好きキャラで、吉祥寺に住んだし、新宿に住んでいる。

僕の家から10分あるけば都庁である。こんな湘南人は中々いないだろうと確認しながら、毎日を生きている。

 

ということで、僕のベンチマークフジモンかもしれない。笑

武井壮は、地球というマイルドヤンキーだと思ってるから尊敬している。。 )

 

 

 

 

 

だから僕を一言で表すのは難しいかもしれないし、肩書が好きじゃない。

 

経営者でもあるし、表現者でもあるし、旅人でもあるし、ヤンキーでもあるし、ゲーマーでもあるし、まんたまんズでもあるのだ。笑

 

 

真っ白いキャンパスに、絵の具でどの色を付け足したら良いか、

混ぜて汚くならないように、重なって黒くならないように、丁寧なキャラクターを自分に足していく。

 

 

これを1万分の1の人材がどうとかでなく、なるべくアーティスティックに考えてみる。

算数でなく、妄想で考えてみる。

 

 

 

 

湘南の海辺で、獲ったイノシシでカレー作って流行りのスイカウォッカ食って、マンタ乗ってる光景をドローン飛ばして撮って、動画をスナチャにあげて、BUMPガンガン流しながら、地元のヤンキーとまんたまんズで一緒にストロングゼロ飲んで警察に注意されるみたいな。

 

そういうのが出来るめっちゃお洒落で斬新な海の家つくろーぜーとか、浜辺にカフェ作ろーぜーみたいのを本気でやって、大スクリーンで君の名は上映したり、バジャウ族呼んでスマブラやったり。暇だから今からロシアいこーぜーみたいなとか。

 

 

 

最終的には、全員の架け橋になりたい。

これも一つの感動表現のカタチ。

 

 

そういうバランスをとってるつもりで生きているので、もう少し僕が余裕になるまでお待ちいただきたい。もっとでっかい遊びを企画したいし、早く1万人集めて「世界全国鬼ごっこ」もやりたい。湘南のギャルにビットコインで儲けさせたりしたい。笑

 

 

話がそれてしまったけど、そういう自他を【別居】ではなく【同棲】させてみることに面白みを感じています。

 

同棲しないとわからないことだってあるしね。

何事もそうだと思うな、何事も。。

 

 

融合召喚ってやっぱつえーよ。

 

 

 

 

 

 

p.s.

 

最近デュエルにはまってます。

E HERO ネオスデッキを、禁止令で潰すのが好きです。

僕の切り札はオシリスの天空竜です。

 

現場からは以上です。。。。

 

 

 

 

茅ヶ崎にカムバック説。。

 

FROM 茅ヶ崎ラスカ HERO SAND

 

 

 

 

昨日から茅ヶ崎に来ている。

大好きな地元だ。

 

 

昨晩は行きつけの焼肉屋に、中学からアホみたいに仲良くしてる高野と。。

これからはよく会うことになりそうだ。。笑

 

 

 

そのあとビックエコーに行って、

当時バカみたいに叫んで楽しんでた曲を歌った。

 

 

 

UVERの「GOLD」と

アンカフェの「流星ロケット」は個人的にツボだった。。

 

なつかしすぎて、、、、、、!!

 

本気でカッコイイと思ってたし、本気でハマってた若かりし頃。。

今でも確かにカッコイイと思う。

 

高野と行ったので、こーくんともカラオケ行きたい。 

お前だ出戻りこーくん、もし見てたら来週行こう。。

 

 

 

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今朝も高野と湘南ドライブ。なんて清々しい朝なんだ。

こちら、母校の茅ヶ崎高校です。なつかしい。。。

 

 

下の動画は、5年前の体育祭です。

前列にいる、髪色と服装が意味不明なのが僕です。

 

なつかしい。。。

 

 

 

www.youtube.com

 

 

 

 

ドンドンダウン潰れてるし、

高野に聞いたら、円スリもビックエコーも潰れたらしいし、時を感じる。。

そして、高スリがローソンになったのは笑った。。。

 

 

 

今日は平塚の七夕まつり。謎に松岡修造が来てるらしい。

 

 

 

 

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実は、日本三大七夕まつりの1つである。

湘南民は誇るべきである。

 

ただ、ドヤンが集まる会ではない。歴史があるのだ。

当時、あの銃声を聞いた方は、誇るどころか恐れていると思うが。。。

 

(そんなことより僕は、1回300円おばちゃんの伝説しか記憶にない。)

 

 

 

 

 

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ジャスコ

僕らに「イオン茅ケ崎中央店」は絶対に浸透しないだろう。

名前が変わっても過去の記憶で語りたい。そんな哀愁がある。。

 

 

 

itotl.hatenablog.com

 

itotl.hatenablog.com

 

 

 

 

これらの記憶がゆえに、この場所は思い入れがありすぎる。

2時間ほど前、ちょろっと寄ってみたのだが、

 

 

まさかの感動、、、、、

 

当時、一緒に仲良くしてくれていた常連のおばちゃんが、未だにスロットを打っていたのである。

 

 

 

 

まだやってるんかい!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

そう心の中でツッコミを入れながら、思わず嬉しくなってしまった。

元気でよかった。元気に北斗の拳を打ってました。

 

そして同時に、緊張してしまった。

なんだか久しぶりすぎて、気負ってしまった。

 

 

 

 

結果として今日の宮代は、おばちゃんに話しかけることができなかった。

 

まだ顔見せできないという心理なのか、単純な恥ずかしさなのか分からないが、すれ違う時に顔を俯けている自分がいた。

 

「もしも、次がなかったらどうするんだ?」

あまりに真っ当である批判が頭の中を錯綜したが、ジャスコを後にしてしまった。

 

(やっぱり、今から話しかけに行こうかなあ。。。)

 

 

 

 

世界が確かに動き続けているし、

自分と他者の世界は、全く違うことを、

より深く、認識できた気がする。

 

 

 

 

 

そんなこんなで、余裕があったので茅ヶ崎をふらふらと散歩した。

やっぱり茅ヶ崎は、最高であった。

東京とは全く違う空気と文化が流れている。。

 

 

 

ワンチャン宮代は、茅ヶ崎カムバックします。。

 

 

 

 

 

大学で東京に出てから、日本全国を旅したり、海外に出向いたり、今も新宿で毎日を過ごし、中々こっちでゆっくりすることはなかったが、これからは違うかも。

 

 

 

 

 

地元のみんな、お待たせしました。。

 

全然待ってないかもしれないけど笑、これから茅ヶ崎にいることが増えそうです。

 

 

 

 

大都会東京で、たくさんのことを学んできたけど、それと同時に、

たくさんの大事なものも落としてきました。

 

 

そう認識してるし、それを分かって東京に出てきました。当時は自己の成長のために、地元を断舎離するつもりでいました。

 

 

2017年の夏は、僕にとって本当に大切な「落とし物」を拾いに行きます。散々放置してたくせに、もう僕のものにする権利はないかもしれないけど、心優しい人が、忘れ物の在り処を教えてくれることを願っています。

 

そして、そうやってくれる人の優しさを知って、拾えるだけの人間として向き合っていこうと思います。

これは、自分自身のケジメとして。。

 

 

社会に顔向けできるくらいには、背を伸ばしてこれたと思います。

相変わらず身長は小さいし、ロシア前に太らせた身体は戻ってませんが。。。

 

 

ということで、よかったら、みんな飲みにでも誘ってね!

 

 

 

 

ちなみに、今年の茅ヶ崎高校の同窓会に一般人として行きます。

行く人いたら連絡カモン。。

ついでに集まれたらマジ最高。。

 

 

あと、円中同窓会を年末年始にやろうと思うので、

とりあえず、翼と愉快な仲間たちは集合な。高野は動画撮るってよ。そういえばさっきやすくんに会いました。笑

 

人呼ぶの手伝ってくれる人、ガチめに募集します。。

毎度のことながら、僕ひとりの力では到底実現しないので。。。

 

 

あとあきとに、ペニーもらいにいきます。あきとよろしくー

仕事でもらったwiiやらせてな。笑

ちょうど買おうと思ってたので最高です。新宿で乗り回します。。

 

 

 

 

やっぱり夏は、湘南で決まりでしょ。

茅ヶ崎で海に入ったなんて、10年くらい記憶が無いけど、今年は入ります。

 

 

 

 

サメとクラゲは出ないでほしいです。

 

 

クラゲはセブ島で死ぬほど刺されたのでもう懲り懲りです。

茶色い海は、、むしろウェルカム。。。。

 

 

 

 

最高の夏にします。

 

 

明治神宮を裸足散歩。。

 

珍しく、ブログらしい記事をお届けします。

 

 

 

 

おはようございます。

最近、シェアハウス住人と「朝から健康的になろう!」と意識が高まってる。。

 

 

 

その結果、今日はまことにむげんな時間を過ごせた。

 

 

 

 

6時半に起床し、散歩に出かける。

国立オリンピック記念青少年総合センターに到着。

朝食を食べる。

 

 

 

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今日は6人のシェアハウス住人から、3人。。。

 

朝から宅建勉強中の大関くんと、セブ島スタツアの作業をしていたゆずに声をかけて連れてきた。

西片はフィリピンにいるし、荒木さんは実家に帰っているし、託は普通に出社だったから3人で。。

 

 

 

ここのモーニング、ランチ、ディナーは実際鬼安い。。。

サラダビュッフェにむね肉がある時もある。。。

イミダペプチド。。。無限会、顔負けである。。。。。

 

 

この前ディナーも食べたが、680円で肉料理一品、サラダバー、ドリンクバー、デザートバー、ご飯、味噌汁、スープすべておかわり自由である。。。

 

モーニングは、そこにパンやオムレツ、納豆とかがつく。。

しかも宿泊者であるインターナショナルスクールの外国人とワイワイ出来て最高である。。

コーヒーも野菜ジュースも飲めて完璧すぎる朝ごはんである。さすが国立。。

 

 

 

お腹いっぱいになってから、散歩を継続。

 

 

 

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馬ってすげえ。人間じゃ絶対に勝てない。

全長4mくらいあるし。。負けてられない。。。

 

 

 

 

そして明治神宮に参拝。

健康的になりたかったので、裸足で本殿へ。。。

 

足裏に石ころが当たって、めちゃくちゃ痛い、けど気持ちい。。。

途中ダッシュしようとしたら、痛すぎてはんぱない。。。

けど、めっちゃきもちい。。。これやばい。。。。。

 

 

 

本殿到着、お参りをして、帰りも裸足。。。

だんだん慣れてくるけど、体重が乗っかるたびに、次の一歩を出す度に痛い。。。。

そしてお参り終了。。

 

 

明治神宮裸足参拝。

これは革命的な散歩である。。。

 

境内を綺麗に掃除してくれてるお坊さんたちのおかげで、変なガラスとかないし、怪我とかそーゆーのは問題ナシ。。。。

 

心身ともに健康な状態で、毎日お参り。。

9時くらいに散歩したけど、今でもピリピリする。。。

 

 

 

これを毎日やったら、身体的にも、精神的にも最強になる気がする。

1ヶ月後は、全力疾走できるかもしれない。

お参りに来てる外国人と競争しても良いかもしれない。。。

 

 

足つぼマッサージ行くより10倍気楽にできる。。

地球で遊ぶのは無料だしね。。。

 

 

 

これから毎日続けます。

足裏がありえないくらい強くなる日を願って。。。。

 

 

 

朝イチで裸足で散歩。

みんなにも強くお勧めしたい。。。

 

足裏強くしようぜ。。。。

 

 

 

以上。。。。

 

 

 

 

誰もが自分の世界を持っている

 

自分は世界の中心である。これを個々人が主張することは何ら間違いではない。

これは紛れもない事実だ。

 

 

 

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www.youtube.com

 

 

 

 

これを否定する考えが蔓延っているが、それは論点がずれてしまっている。

 

 

jibun-rev.com

 

 

これは、大きな宇宙の共同体の一部だと、認識するということであり、上記の否定ではない。

 

アドラーの主張は素晴らしく、嫌われる勇気とは究極的には他者を気にしない考え方であり。

自分が世界の中心であるという物理的観点では同じである。

 

 

現在「ゲンロン0」という哲学本を読んでいるのだが、しっかり読んだら感想も書き残したいと思う。

同じような二層構造が社会にあるという主張が述べられている。

 

 

 

 

つまりは、これらの主張は、

 

自分が世界を変えることもできれば、

思い通りに世界を描くことも出来る。ということである。

 

 

 

 

そして、誰もが自分の世界を持っているのだから

他者の世界にアクセスすることも出来る。

それはライブハウスかもしれないし、映画かもしれないし、宗教かもしれない。

 

 

誰かの世界にアクセスすることもできれば、自分の世界に没頭することも出来る。

こんなに広い選択権を持っているのが、現代に生きる人間なのだ。

 

 

そして、それらの世界を交差する空間が、SNSだったり、複数間でのコミュニケーションだったり、コミュニティというものだ。

これらは、不特定多数の敵ではなく、事実「共同体」なのだ。

 

 

 

こればっかりは具体性を帯びてしまうと、急に安くなってしまう。

なので、本質だけで留めておこうと思う。

 

 

 

どれだけ素晴らしい世界なのだろうか。

今日も今日とて、自分の世界を生きようと思う。

 

 

 

正直、これしか言うことはなくて

あとはすべて修飾語である。

 

 

 

 

なので、修飾語を重ねていこうと思う。

人生は本当に素晴らしい。

 

 

あとは、その証明を。

 

 

 

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(中3の時に書いた、年賀状です)

 

 

 

 

 

 

予言するのも、実現するのも、いつも自分なんだ。

 

 

 

 

 

僕は未来を知っている。

 

 

と言ったら、誰がなんというだろうか容易に想像がつく。

 

 

 

matome.naver.jp

 

webcast.softbank.jp

 

bb-rt.com

 

thebridge.jp

 

 

残念ながら、小学生にファイナンスリテラシーが求められたり、火星旅行が実現したり、上場のシステムが廃止したり、ロボットが途上国支援をしたり、中国がビットコインを占有する未来は、、、、、少なくとも僕には見えない。

 

 

社会の変化は著しくて、LINEやFacebook、Snapchatが10年後も存在しているかどうか、

そんなことは誰にも予測できない領域、スピードとなっているのが社会の現実だろう。分からないという無知の知であるのが、今の世界である。

 

 

魚民はなくなるかもしれないが、鳥貴族は残るだろう。

ミニストップはなくなるかもしれないが、セブン−イレブンは残るだろう。

マクドナルドはなくなるかもしれないが、ケンタッキーは残るだろう。

 

 

果たして、本当にそうだろうか?

証明できるものなんてなにもない。

 

 

 

 

だがその中でも、たった一つだけ見えているものがある

実は、そんな人が、世の中にいるのだという。

これは、すごいことである。

 

僕もその一人である。

 

 

 

 

 

 

僕に見えているのは、何があろうと未来の自分である。

 

 

 

 

 

僕は自分の未来が予知できる。

もう少し絞って話すなら、、、、それは何をしているかではない。どれだけ富を築いているかでもない。5年後、10年後にどこにいるかではない。そんなものは予知できない。社会と接合する自分の未来を、予知できるなんて、社会が見えるのと一緒なのだ。だからむり。

 

 

さっきも書いたとおり、僕には社会が分からない。

 

 

あまりにも関わる人が多すぎるし、あまりにも勉強しなければならないことが多すぎる。

そんなことをもがいて、ついていこうという毎日だが、残念ながら、時代のスピードを越すことは出来ない。

時代とは、多くの人間が創り出しているものだしね。

 

 

 

でも、自分の未来を作ろうという意識を持っているかどうか、

これは予知できるものなんだ。

 

 

なにくそまけるかと、意識朦朧としながらでも立ち上がる気合があるかどうか。

こんなんじゃダメだと諦めてしまうか、それとも走り続けるのか。

だらしないボロボロの生活を送ってもなお、まあいいかと自分を慰めるかどうか

 

 

 

すべてはあなたの意思決定である。外的要因なんて言葉はクソだ。外的要因を取り込んでいるのはお前なんだ。引き寄せているのはお前なんだ。

 

 

allabout.co.jp

 

biz-shinri.com

 

 

 

社会があなたをコントロールしてるだとか、

誰かに騙されただの、洗脳だの、教育だの、ごちゃごちゃ抜かす輩が多いご時世だが、あなたの身体は、あなただけのものでしかなく、手も足も、神経も頭も、口も目も、動かしているのは紛れもないあなた自身である。

 

 

achievement.co.jp

 

 

 

 

将来どうなっていくか不安なんです。とか、

やりたいことが見つからないんです。とか、

自分に自信がないんです。とか、

 

そもそもレイヤーが違うし、意識の高さが違う。そうやって、予言しているのは自分なんだ。自分の未来を主体的に描いてしまっているのだ。

 

 

自分の暴走は、自分にしか止めることが出来ないし、自分に止めるよう投げかけるのも自分である。

自分の停止は、自分にしか再起動させることが出来ないし、自分を立て直そうとふんばるのは自分である。

 

 

 

ただ、自分の未来が予想できないと、思ってしまっている。

気づいていないんだ。自分の未来は、自分でコントロールすることが出来るということを。

知っているか、知らないのか。自己実現の可否はそれでしかない。

 

 

人間は、自分に見えていない事象は「起こっていない」と錯覚することが出来る。逆に、自分が見えたと勘違いしている事象は「起こった」と錯覚することが出来る。

 

これは人間に「心」があることで与えられた、大きな賢さである。

 

 

 

全く幸せではない現状を、あなたは幸せだと認識することが出来るし、幸せこの上ない現状を、あなたは最悪だと認識することも出来る。

これは、不都合な動物だと思うか?  僕にとっては最高の都合である。

 

 

 

 

僕には未来は見える。

最高に幸せな道を、ご機嫌にスキップする自分が見えている。

そして、毎日1ミリ以上、近づいている自信がある。

 

 

そして、未来というものは遠い存在でもなんでもなく、もうすぐそこにあると認識している。

そして、未来というものはいずれ訪れてくるものではなく、もうすぐなくなってしまう、儚くも瞬間的に訪れる「点」なのである。

 

 

 

僕には、毎日未来が訪れている。

それは、過去の日記が証明している。過去の自分が描いていた未来が、今この瞬間にも訪れていて、合っていたかどうかを、験算してくれているのだ。

 

 

 

itotl.hatenablog.com

 

itotl.hatenablog.com

 

 

 

 

どんな未来を予言しようか、そして、

どんな未来を実現しようか。

 

 

 

何よりうれしいのは、こうやって、

未来の自分が楽しそうに、もっと先の未来を描いて喜んでいる姿を、

 

過去の自分に見せることが、出来ていることである。

 

 

 

 

 

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(高校2年の冬、、、、)

 

 

 

 

 

ほーらみろ、実現してやったぞ。

 

 

なんてね。

 

 

絶対、実現してやるから、覚えておけ!

 

 

 

 

 

 

人生は22歳で終わらない。

 

最近、いろんなプロジェクトを進行させている。多すぎて訳わからないというカオスな、自分でも分析できない、どーなるのかわからないくらいの領域までいきたいからである。 

もちろん全ては理念ビジョン、PLBSに繋がる前提の話。

 

経営者と起業家の違いってのが、マインドだけではなく、行動ベースで腹落ちしてきて、毎日コミュニケーションを取っていて、楽しい。

 

 

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( 2ヶ月前に作った海外プロジェクトのマインドマップ。見せられないけど、こんな構想。もう既に変わっている。。)

 

 

 

24時間、交渉をし続けている気分だ。そして、何より気持ちいいのが、

ビジョンを語りまくること。

 

大事なことその1。リーダーはビジョンを語りまくらないといけない。

なぜなら、人を巻き込みまくる必要があるから。もー毎日、誰かに会えば会う度に、このプロジェクトは1年後にこーしたいだの、このコミュニティは5年後にこーしたいだの、

新しくこーいうプロジェクトを始めたい、なぜなら、、、、、、、

 

 

はじめましての人への自己紹介も変え始めた。

安っぽいユニークやノリ、カリスマ性のある謎感の演出なんかではなく、信用とビジョン。

 

将来こーいうことを、こーやってやっていきたい。

世界をこうやって変革していきたい。そのためにこいつらと繋がって、あーだーこーだ。すべての活動はこーいう理念に基づいていて、その背景は、、、、、

 

こういう人間ですというのを、相手が納得してくれて、応援してくれるところまでトークを続ける。

 

たとえ、長いと言われても、それ以上にどんな人間かが伝わらないほうがリスク。

何のために、こいつと時間を取っているのかわからないと思われたら最悪。目的を持ってもらう。

もっといえば、この人に関わりたい。時間を使いたい。投資したい。そう思われる自己紹介ができれば最高である。出来ているかな? できていると信じたい。。

 

 

 

 

大事なことその2。長期で物事を考える。

 

大体、ビジネスやりたい、でっかいことをしたいという若者は今すぐを求めるので、来年独立したいだの、海外で自由に暮らしたいだの、

バイトしないで生きる収入が欲しいだのを求めるけど、それは甘い。

 

甘いというか、そこで人生が止まってしまう。22歳になると、肩書がなくなる分、肩書を求めたり、友達から、親から、近所の人から、彼女から、気になる女の子から、

どう思われるか?ダサく見られたくない、ナメられたくない。

俺はもっとすげえんだぜーーーー!

 

そういう心理で、人脈を作ったり、イケてるイベントに顔を出したり、見た目を気にして服を買ったり(笑) こうやって書くと思わず笑っちゃうけど、グサグサ刺さる方もいるのではないか。SNSでの発信内容なんてまさにそうで、パッと見れば、その類のタイプかすぐ分かる。

 

大体、そういうやつは世の中を評価している気になったり、表に立ってるファーストペンギンをディスったり、俯瞰してみてる風にしたりするのだが、裏でネガキャンしたり、人の将来考えてる感じに見せて他者の弱みを探そうとする、そうやって、自分のポジション必死に守ろうとしている魂胆が見え見えですごくチープ。

で、お前はどうするんやねんって。イケてるのか、イケてないのか?

 

 

逆に、本質的な捉え方、思想をしている。俺はお前らとは違う。みたいな、そういう態度をとる若者も増えてきてるなーと思うのですが、プレゼンとか友達に熱烈にそういう主張をしてても、

意思決定でバレる。どこでイエス、ノーを言うのかでバレる。

 

 

プロセスがどんなに素晴らしくても、人格的な判断をしていても、結果で選べない。選択できない、集中できてない人間が評価されるのは、学生レベル、若者レベルまでで、上場企業の社長さん、世界トップレベルの人材、超有名芸能人、なんかが心の底から信頼するのは、結果、GOできる人間である。

 

かつ継続できる人間。勝ちきれる人間なら、対等に仕事をしてくれるだろう。

 

ビジネスに変な情熱、思想は持ち込まないほうが良い。あるのが当たり前だから。当たり前のことをドヤ顔で言われたり、本気でプレゼンされても、当たり前やろと、淘汰されるだけだ。

 

 

 

なので思うことは、僕もまだ22歳だが、

同世代は社会人1年目で、必死にもがいているだろうけど、決して、目先の不満を解消したい、この人に嫌われたくない、なんとなるハブられるんじゃないか、リスクなんじゃないか、、、、、、なんかで判断してはいけない。停滞していてはいけない。

 

 

資産を積み重ねることが大切。そして、今この時期にどんなカードを持っておくかを考えることが大切。

人生は22歳で終わらないから。もっと言えば20代では終わらない。正直、30代からが本番である。お偉いさんに色々話を聞いても、大体30歳までの準備をどこまでしてるかで、勝負が決まっている気がする。

 

勝負はやる前から決まっているのだ。

 

 

 

時代と、マーケットをもっと深く深く分析する。プログラミングだの英語だのを身につけることは先見性でも何でもないし、もはや先行者利益はない。10年前にバブルは終わっている。仮想通貨ももう遅いだろう。未だ世の中で評価されていないスキル、チャンスを探すこと。

 

そして、誰が30歳で化けるのか知っておくこと。今この人とつながることがどうこうではなく、1年後、3年後、5年後、10年後、20年後、、、、、、

 

果たして誰が世界の最前線で戦っているか。その逆算で人脈を作っているか。分散していないか。人脈=本当に信頼を勝ち取れているか。連絡して会える関係か、仕事ができる関係か、投資してもらえる関係か。

 

 

僕はそういう意思決定で、毎日生きています。

なぜなら、本気で世界を楽しみたいし、楽しめる世界を作りたいから。

この文章を綴るもの、未来の自分への投資である。

 

 

こっからどんな世の中になるのか、非常に楽しみである。

そしてその波を、乗りこなせるのか、乗りこなせないのか、本気で挑戦するのも非常に楽しみである。

 

同世代のみんな、人生賢く生きてこう。

俺らの時代を作るために。大人にナメられるな!やったろうぜ。

 

 

今日は敢えて抽象的なところで。

 

 

 

 

What is LIFE ?

  

 

何をして生きるのか、ではなくどう生きるのかを学びたい

正論や合理的な結果を求めていない

自分が納得できる答えが欲しい

既に考えはある。あとはぶつけてみたい。

     

死はかならず訪れる。自分の魂が死ぬ時が訪れる。

それまで、何を燃やし続ける必要があるのか。

魂に優劣なんてあるのか。ない。

 

ただ、いま生命は動いている。

この動いている感覚で動けばいい。

そして、生命が動いているということ、伝えていきたい。

生かしていきたい。燃やしてあげたい。

それが人生でできる最大のエンターテイメント。

史上最高な遊び。暇つぶしだ。ゲームだ。

過去の経験、俺はゲームをすることにワクワクする。

全部LV99にして極めてやろう。

究極の自己満足。一生終わらないゲーム。

人に価値を与え続けるゲームをする。

感動させて、ワクワクさせて、幸せにさせてやる。

どうせ人は死ぬんだから。死ぬ前に一緒に笑いたいよね。

 

 

[2015年8月28日 4:21 北海道旭川市 駅前カラオケにて]

 

 

 

責任感を持って生きようと思った

多くの人に関わって来た責任がある
遺書を書くことで死を近くに見る。
死と真面目に向き合う
自分の命を常に考えて向き合う
命を尊敬して生きる
最大の悲しみ 死というものと相対的に考える
現実や幸せとは命があるからこそ出来るもの
感謝して生きるとは死なないでいる自分に対してもある
人を幸せにしたいなら自分が死んではいけないし、悲しんでいてはいけない

 

 

 

誰しも死は訪れる
出会った人はみんな死ぬ
別れる時が来て、悲しむために出会ってる 
 
そんな不条理の中で、俺は何のために生きているのだろう
でも抑止力と同じで
生きている間に人間を喜ばすゲームはできるよね
暇つぶし、遊ぶはできるよね
楽しみながら人を幸せにすることはできるよね
大義名分はないとはこのことだ。
 
やらなきゃいけないとかはない。
だってその先にあるのは生と死
その可能性を追求しているのは脳科学
だけど脳科学が発達した先には
その先に人間の本当の幸福はあるの?
ないんじゃないかな。また別の問題にぶち当たる。
 
そしたら、そんな長期の使命感に追われるのではなく
もっと自分が楽しめることをしよう
気楽に生きよう
天国でまた会えるだろう
ハロー初めまして、よろしく、そして、さよなら(死ぬ)
 
ただ、それだけの人生。
旅じゃない、人生がそう。
つまり旅=人生
そしたら、死ぬってわかってるよね。
やるべきことって別にないよね
楽しめばいいよね。
人生を。

 

 

 

 

[2015年8月28日 5:04 北海道旭川市 駅前カラオケにて]

 

 

 

 

 

 

 

 

また宗谷岬に行ってきた。ママチャリがあった。すごく気持ちよかった。

ワイワイするというのはああいうことだ。自然と話しに笑いが生まれる、自然とつながる。

何を感じるのだろうと考えながら歩いた稚内。人が少ない。

人の気配が薄い。命や、生と死に真っ向から向き合いすぎて、自分が何をすればいいのか分からなくなりそうになっている。悟りすぎている。負のループにはまりそうになった。

 

そこに辿り着く必要はあるのか。本質的すぎる問いを厳しく与える必要はあるのか?あまりモチベーションは湧かなかった。人生にとって大切なことを教えることは必要だけれど、あまりにクリエイティブで正しく強いものを見ると、すこし圧倒されてしまう。

しかし、とても勉強になる。これは良いことなのかもしれない。非常に室の高いものだ。今の自分には分からないのだろう。人生を表現して「感動」を人々に与えることに意義がある。生きる意味を問い続けるということは人々に学びを与えるということになる。いや、今はこの話はやめておこう。

 

札幌にとんだ時、飛行機ってすごいと思った。

飛びたいという人の夢を現実的にした。

窓から見た翼が

おもちゃのように、戦闘ロボの変身のように思えた。そして物理的に人をふかんして見える。

与えたいターゲットは「人」なのか「地球」なのか「生き物」なのか、大切な問い。人が作った物たち、まるでゲームみたいに都市を作り、人を増やしている。

 

そんな新しいゲーム。今思ったのは、所詮俺は「人」なのだから「人」以外の気持ちなんて分からない。その「生き物」にとっては、今が一番心地良いかもしれない。ボランティアと同じだ。今、自分の心の中にある罪悪感。そして、自分が伝えたいこと、言いたいこと、これを生き物の気持ちになぞらえて、責任転嫁してるだけかもしれない。地球の気持ちなんか分からない。結局、自分たちが心地良く暮らすために、地球が悲しんでるとか言ってるだけかもしれない。俺らには分からない。マーケティングしてないから。それに、ニーズや価値、欲求や感情というものがあるかどうかすら分からない。ピダハンのように"今"しかない民族もいるのだから。

 

要は、まじめに考えるなら「人」に価値を与えることが一番ワクワクするかな。自分が幸せになれるかな。人以外の生き物になりたいというのは、その地球や生き物に逃げてるだけなのかもしれない。依存してるだけなのかもしれない。だってなりたいならなれるよ。そういうS→Gを組めば良いよ。これは無責任だけど出来るよね。だから、そこじゃなくて、その欲求は、そのモノから 直接受け取ったものではなく、間接的なものかもしれなくて、それ以上に、そもそも本気じゃないかもしれない。偽善はやめよう。人といよう。俺はそれが楽しい遊び場だと思う。

 

デメリット、リスクをとらずに生きていたら、何も出来ない。

この地球に対しては全て悪かもしれない。

だから、自分のやりたいことをやろう。

 

 

[2015年8月29日 19:28 北海道稚内市 宗谷本線車内]

 

 

 

 

*************************

 

 

大切な友人の訃報を聞いて、書き連ねたというか、書きなぐった当時のメモ帳。

ふと見返して思うことがあったので、

文字起こししてみました。

 

「わたしも北海道に旅しに行こうと思うんですけど、行ったほうが良いところがあれば教えてください!」

新宿のカフェで北海道の素晴らしさを伝えた。

 

「わたしも宗谷岬に行きたいです!」

そうやって言われたのは3週間前だっただろうか。

 

 

ふざけんじゃねーよ!という気持ちでいっぱいだった。

そんな感情だったのを覚えている。

 

命は大切にしねーと。

であるならば。

あなたの人生とは?

 

なんやろね。

 

 

2年前の俺へ。まだ分かってないみたいだわ。

 

 

 

 

 

 

 

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What is LIFE ?

 

 

人生とは?

生命と何か?

生きるということ。